▼酒器の話(獺祭に一番合う酒器とは)
山口県の防府市に加藤先生という陶芸家がいらっしゃいます。お年は既に60歳を越えておられますが、ジーンズにボタンダウンのシャツが白髪によく似合うダンディーな先生です。
作品は金彩が非常に繊細な、見事な作品で、いつか例のテレビの「お宝探偵団」でしたっけ、あの番組の中でタレントのあのマリアン(!)が加藤先生作の香箱を持ち込んでいるのをみたことがあります。
鑑定士から「これで木箱があれば倍だけどそれでもウン十万円の価値」という評価をされているのを見た私たちの間で、それ迄ただのちょっとかっこ良い陶芸家の先生という評価だったのが急に後光が差し始めました。
と、いう、いかに私たちがテレビなどの権威に弱い俗物か思い知るきっかけを作った先生なのです。
ところが、この先生が頑固でして、私の口げんか仲間なんです。酒席でとなりに座ると必ず口論が始まる。となりにいなくても何となく近づいて口論を始める。「あ、またあの2人がやってる」とみなが酒のさかなにしているような状況で、そのくせ過去2回京都で行われた「酒と器のエキシビジョン」には一緒に酒と器をだしたり、当人同士は仲が良いのに微細なところで譲らない、結構面白い仲です。
毎回この口論の原因となるのが、「酒器はまずヴィジュアルが優先されるべきである」という加藤先生の説と、対する「酒のおいしさは酒器の形で左右されることが多いからまず最適の形があってその後ヴィジュアルである」という私の説との、まあ言って見れば卵が先かにわとりが先かのような論争です。
こういうところで、一方的に自説を展開しますと加藤先生には不公平なんですが、私が感じている結論を言いますと大いにおいしさに関係しますので、ぜひ形にこだわってください。
まず、かおりを楽しむためにはシャンパンのフルートグラスのような形が最適です。細いグラスの中を立ち上って来る上立ち香をかぎますと、その酒の持っている香りの面での魅力が浮き彫りになります。ただフルートグラスは、香りはあまり重視しないという人とか上立ち香より含み香に魅力を感じる人には、重心が高いため、扱いにくいだけというところがあるのと、何よりシャンパンのグラスというところに私共も日本酒の酒蔵としてじくじたるものがあるのですが。
次に味の面から言いますと、人間の味覚上の喜びは口中で感じる甘みの事だとあるフレンチのオーナーシェフに言われたことがあります。そうすると舌の中で甘みを感じる味蕾の位置する真中にお酒を落すことのできる形の酒器が必要となります。
口のすぼまった形ではなく、外側に少しアールをかいたように広がった酒器が適しています。その杯に満杯に入れず八分目ぐらいに入れることもおいしく飲む秘訣です。すると、少し大振りな酒器が良いですよね(だけど、となりの相方や目の前のきれいなお姉さんがともするとサービスでなみなみと注いでくれるんですよねー、私は気が弱い上にきれいなお姉さんに弱いから断れなくて。酒は独酌がうまいのに)。
唇に当たる触感も大事ですから、少し薄手の酒器の方が、酒がシャープに感じられて、切れがよくなりますよ。
最後にけち根性から一言、ガラスはクリスタルなど本当にきれいですが、陶器や磁器は使い込んでもそれ程汚れが目立たず反対に萩焼のように丁寧に使うことによって育つものもあったりして、良いと思いますけどね。それと薄いのはなかなかないけど手吹きのガラスもいいですね。個人的には口の広がった大振りの座りの良い薄手の磁器の器で、上立ち香より含み香を楽しんでいます。
女房はシャンパンのフルートグラスのような形で、もっと小振りな京都でもとめた清水焼の酒器(坂田瑠衣さん作・京都でお会いした方ですが、なんととなり町の山口県熊毛町出身)を愛用しているようです。
最後の最後にもう一つ。フランス人は最もワインを味わうのに適したグラスの形を厳密に規定しています。ところが、小料理屋でよく様々な酒器を小振りなざるなどに入れて好きな酒器をえらばすところがあるように、私たち日本人は微妙に形状の違ういろいろな酒器によるお酒の味わいの違いを感じる感性と、その違いを面白いと受け入れられる感性の両方を持っているように感じます。楽しく、様々な酒器で「獺祭」を楽しんでください。