時計を見たら、会合の集合時間にまだ一時間ある。場所は京都高大寺付近。季節は一月大寒ですからちょっと寒いけど、こりゃちょっとぶらっと散歩しよう。残念ながら京都はほとんど仕事がらみで訪れることばかりで、たいていは用件意外はわき目も振らず通りすぎるだけなんですけど、時間に追われながら歩く京都はものすごく魅力的なことがあります。

このときも、聞くと高大寺の中に坂本竜馬の墓があるとのこと。私は恥ずかしながら知らなかったんです。早速たずねてみることにしました。

この年になっても、維新の志士と聞くとなんとなく心がさざめくものがあります。

高杉晋作が亡くなった年齢の28を自分の年が越したときは、ちょっと落ち込みました。彼はこの年で日本を回天して生涯を終えたのに、それに引き比べ自分は同じ年にもかかわらず、未だ何もしていない、なにものにもなってない、これでいいのか、なんて。

で、高大寺の敷地に入っていくと、順路が出来ていてその順路どおり歩くと結構山道を大回りで歩かされて、日頃の運動不足が荷物の重さとともに思い知らされたりしましたけど、いいことがありました。

木戸孝允の墓もあるんですね。よく見ると隣は奥さんの幾松の墓です。昔はおおらかだったのか彼女は芸者だったわけですけど社会は受け入れている。今だったら政界のトップの奥さんに芸者さん上がりの女性がなったら大騒ぎで、きっとテレビのワイドショーや週刊誌が騒いでだんなをトップの座からひきずりおろすか別れさせてしまうでしょうけど、ある意味で昔のほうが社会がフレキシブルだったんでしょうね。

尤も意地の悪い言い方をすると、当時はまだ大衆情報社会が成熟していなかったから衆愚社会じゃなかったという言い方もあるかもしれません。

で、木戸孝允の墓の前を通り過ぎて何の事は無い山道を一回りして、さっきの順路の看板の近くまで下りてきてやっと坂本竜馬の墓にたどり着きました。

それはやっぱりいかに人気があるか物語る雰囲気を献納物などから雰囲気として周囲に振りまいている堂々たる墓(?)でした。

お参りしながら思い出したのは司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の一節。

「土佐の酒は辛い、一升飲んではじめて口に甘さがかえってくる。名を司牡丹という。・・・」司牡丹って今も続く高知の名醸の酒蔵ですから、その感想は「良いなあ、こんなに書いてもらって、良い宣伝になってるなあ」というやっかみと羨望がほとんどのつまらんもんだったんですが、とにかくそんな自分の懐の狭さを思い出したりしながらそれはそれで良い気分で下り始めたんです。

しかしちょっと最後に気分を壊しました。それは最後辺りにあった「軍神」乃木将軍の顕彰碑。乃木将軍は山口県で日露戦争における日本陸軍の司令官の一人ですけど、個人的にはなぜこの人の評価が高いか理解できない。

だって、彼は何の策も無いまま、あの旅順の二百三高地を攻撃して何万もの日本の兵士をむざむざ犬死させちゃったんですよ。それも何の工夫もせずに。何度失敗してもやり方を変えず、当時最新型で無敵の機関銃を持って待ち構えるロシア軍の前にまさに兵士の命を捨てたとしか思えないような無策の肉弾突撃を繰り返さすのみでまったく反省しない。

何人兵士に犠牲が出てもやり方を変えない。

この何万の命というのはものすごく大きいと思います。彼はまじめで人格者だったかもしれないけれど指揮官としてはどうしようもない。本当は軍法会議で責任を取らされて当たり前と思います。

このような人物が軍神になってしまうところに日本のおかしなところがあると思います。

少なくとも旭酒造はこういうことをものすごく嫌います。

「失敗しても良い。恐れることは無い。だけど失敗という結果が出たら次からはやり方を変えてほしい。」ということを常に社員には言い続けています。

尤もそう言っていると実際に失敗が起こったとき、恒常的な日頃の作業の手抜きやミスが原因で起こった失敗以外は怒るわけにいかないんですね。

何十万かの損失で痛いなぁーという失敗を若い社員がすることもあるんですが、日頃の発言が発言なんで「仕方ないなぁー。失敗した原因を特定して次からやり方を変えてくれよ」というのが精一杯の文句です。

そうすると、嫁はんには「あんたが甘いからよ」と非難されるし。

しかも職業病なのか性格なのか、一番手近にある酒でストレスを発散できないんですよね。

あぁー、ストレスがたまる。(えらそうに言うな。言いたいことを言うおまえの下で酒を造る方がよっぽどストレスがたまるわい!:社員の声)


▼蔵元の「失敗はオラだけじゃなかった。」

前回のメルマガを出した翌日にある人から電話をいただきました。このある人は某自治体の職員で、その乗り過ごし事件の当日同じ忘年会で一緒に飲んで、広島駅で家が廿日市にあるからと私とわかれて山陽本線の下りに乗って帰った方です。(仕事の付き合いがあるわけじゃないですから知りませんけど日頃の言動を見てると、ありゃエリートですよ。)

以下はそのコメントです。

「桜井さん、あんたはまだ良い。新幹線は終点が徳山だったから一駅で済んでる。私は終点が柳井駅だったからひどいことになった。いまだに柳井駅から自宅まで深夜料金込みのタクシー代がいくらかかったかは恐ろしくて奥さんには告白してない。したがって小遣い無しの耐乏生活を一ヶ月は続けなくてはいけない。」とのこと。

へっへっへっ、これを聞いて気の軽くなった性悪根性蔵元の私です。(ストレス解消は他人の不幸を聞くことかなぁー)