酒蔵をやっていますと、春風駘蕩の毎日なんてほとんどありません。何か必ずトラブルを抱えているのが当たり前で、「人間はある一定以上悩む能力が無いから大丈夫。救われている。」とうそぶく毎日です。尤も、と、いうことは何も無い無風が続くとグチグチ小さな事を気にし始めるので、社員や女房から見たら何か大きな悩みを抱えさせておくほうが穏やかで良いと考えているかもしれません。

で、最近のアクシデント二例。

新人津川君の盲腸。

今年の四月から入社予定の日大四年生の津川君。彼は四月一日の正式入社まで、後は卒論のリポートだけを提出すれば卒業単位に達するということで、三月卒業までの一月を入社前研修にやってきました。(優秀なんですね。ウン十年前の私は、部活と楽しい学生生活の四年間の当然の帰結として年次取得可能のフル単位を取らないと卒業できない現実に悩まされていました。すべての試験の答案とリポートに就職先が決まっていることを欄外に記入してアピールし、合格すれすれの答案にいくらかでも温情点の上乗せを期待していましたけど。)

研修2日目に、丁度寒造りの取材にやってきたテレビ局の目にとまり、集中的に取材されていました。(山口県内の人は見た人も多いと思うんですが、「プラス1やまぐち」で放映されたあの新人蔵人です。)

ところが、その彼が夕方事務所に顔を出して「腹が痛くてたまらないから、早めにあがって良いか」と聞いてきたそうです。その様子を見て、ただ事じゃないと感じた先輩同僚達の、「それは医者に行かなくっちゃ駄目。」という意見を聞いて最寄の病院に診察してもらいに行った彼はそのまま盲腸と診断されて入院してしまいました。

実際に切った盲腸を見せてもらった女房によると、全長15cm、ソーセージぐらいの立派な盲腸だったそうです。本人に言わせると、手術は麻酔の効きが悪くて、「痛くて痛くて」というものだったそうですが、「なぜ、みんな盲腸と聞くと笑うんでしょうか。病室で隣り合ったじいちゃんの反応も盲腸は病気じゃないというものでしたし、それも笑いながら話すんですよ」と首をひねっていました。

だけど、わかりますよね。生命の危険の無いとされる病気にかかった知り合いに対し、がんばれよの意味をこめて笑うって。反対にここで笑ってもらえるパーソナリティと、なんとなく笑えないパーソナリティでは長い人生にずいぶん違うと思うんですよね。(もちろんいい気味と思われるようじゃどうしようもないですけど)酒蔵も愛嬌が大事ってね!?

麹担当者のダウン

それより深刻だったのは麹担当者のダウン。麹の小野田君はその物事を一点目指して追求する性格から「獺祭」の麹担当としてなくてはならない人間です。彼を見ていて、麹の担当者にとって麹をイメージする力、その目標に対して現在の麹室で作業中の蒸米がここはこんな状態であそこはこんな状態そこはこんな状態だから全体としてこういう状況にあるということが理解できる力がいかに大切か、反対に言うといかに彼が優れているかわかったんですが。

その彼がダウンしちゃった。

今年の復帰は絶望的で、何とかこの秋に彼が酒蔵に帰って来るまで現在のスタッフで耐えるしかないという状況です。私も「ヤバイなぁー」と思ったんです。

だけど悩んでもしょうがない。じゃ、どうする。

考えてみればあまりにも彼が優秀だったゆえにみんなが寄っ掛かっている。麹の作業がブラックボックスになっている。代わりの人員が育たない状態だったんですよ。

先ほど出た津川君(この時点ではまだ盲腸になっていなかった)からは「教えていただければ小野田さんが倒れている間の麹作業は自分がやります」という申し出もありましたけど、最初から麹担当にしちゃうと、麹というのは酒蔵にとって大事な部門ゆえに彼の製造技術者としての将来性を狭めちゃうようで、彼なら教え込めば即戦力として程度まではすぐできるだろうとはわかっていたんですが、首を縦に振れませんでした。

悩むうちに、例によってピンチはチャンスに変えれば良いと思い出しました。

ちょうど良いから、ある一定のライン・欲を言えば70点の出来の麹ぐらい誰でも出来るように作業標準を作りたかったし、何とか技術をもう少しわかりやすい文章に落とせるように解析しよう・それがほんとの酒蔵の社長の仕事と考え始めました。

で、まあ今年は自分でやるのが個々の作業の状況が一番分かりやすいから5月までは自分が首を突っ込んでやろう、但し、楽をしたいので、完全に昼に発生する作業に位置付けられる蒸米の引き込みから種切までは山田君に任せて手伝いに回り、夜間作業は自分でやろう。

彼は仕事を全体的に把握する力があるので、やっとスムーズに動き出した瓶詰部門から抜くのは惜しいんだけど、彼の下に二人ほどつけてやってもらおう。(尤もここまでの作業で50%の成否は決まっちゃうので、残りの夜間作業を私がやるといっても実際の麹製造の巧拙という点では気楽なもんなんですが)

ということで現在麹の夜間作業は私がやっています。(今年の「獺祭」は大丈夫だろうか?・・・)女房は私がそれほど高尚な仕事はしていない(!)ということは知りませんから、夜毎度毎度起きていく私を見て「大変ね」といいますし、出荷部門の田中のおばちゃんは「社長は何が起こっても平気な顔をしているね」と誉めてくれるし、個人的には実際の作業に携わっているという高揚感はありますし、ちょっと気分の良い毎日です。社長としてこの程度で気分が良いようじゃ駄目なのはわかっているんですけどね。そうそ
う、小野田君から結構早く復帰出来そうという電話もありました。彼のためにもちょっと安心。

こんな調子で波高しの毎日をあっちにぶつかりこっちにぶつかりで過ごしています。

ここまで読んでいただいて理解いただけたと思うんですが、製造する酒のほとんどが純米吟醸酒でデジタルな機械では制御しきれない微細な範囲で微妙な制御を作業上必要とするため、人間の手でせざるを得ないものが多いのです。

と、言うことは技術が個人に帰属しやすくなるんですが(たとえば杜氏のように)、私どもはそれをよしとせず酒蔵が持とうとしています。

これこそがいつまでも「獺祭」の品質を守る秘訣、昨年より今年・今年より来年より優れた「獺祭」を出すための秘訣と考えています。

おとこのおんなの間には?

女房と娘の買い物に広島の街中を引きずりまわされながら、そう言えば自分も夏のジャケットに合うパンツが欲しいと思いつきました。

基本的には私は洋服を買うときは疑わしきは罰せずじゃありませんが、少しでも首をひねるようなとこのある服は買わない主義です。

だから買うときはほんとに自分が欲しいと思う服しか買いません。よって、娘が「お父さんはあのセーターしか持ってないんかね。いつ見ても同じ服じゃね。」と笑ってましたが、結果として一シーズンずっと同じ服を毎日着ていることもあります。

で、良いのがあったんで買ったんですが、金を支払う段になって自分の予想より三割ぐらい高い価格に目をむきました。

それを見て女房と娘が笑い転げていました。

何度も試着してもちろん価格もじっくり見てやっと決める自分たちの買い物の仕方との違いが面白かったんでしょう。なんせ、こっちは服を買いに店に入るときはわき目も振らず欲しい服を探してなるべく早く買う。一目見てなければとっととその店を出る。店員さんに「どんな洋服をお探しですか?」と声を掛けられる前に勝負を決してしまわなければいけないんです。声を掛けられたらもう買わなきゃいけないという強迫観念に取り付かれる上に、その意識に過剰反応して声を掛けられたら無愛想な返事をして買わずに店を出てしまう方ですから。

女房の買い物にかける熱意の半分でも私もかけたら。もっとワードローブも充実してくるんでしょうがね