明けましておめでとうございます。旧年中は酒の銘柄を書く事も忘れることしばしばのこのメルマガにお付き合いいただきましてありがとうございます。(最近は皆様から「獺祭の宣伝を忘れていることもこのメルマガの個性だからこのままで行った方が良い」という慰めとも諦めともつかぬ励ましを受けています。)
個人的には例によって貧乏な一年(何せ、金二十万円也の車に乗って喜んでいるようじゃねぇ)でしたが、旭酒造の業績としては昨年もおかげさまで好調に推移し、「プレミアムゾーンの価格の商品は基本的には成長しつつあるし、今後も成長し続けるだろう」という私の主張を裏付ける一年だったろうと思います。
この一年で、大きなテーマとして私どもの中に上がってきたのが「今のままの獺祭で良いのか」「より高いレベルの品質の調和に挑戦することが出来なければ俺達に明日は無い」というどこにでもあるが非常に大切な根源的な問題です。
酒の造りそのものは技術的にはかなり解析されてきました。技術的にいえば、香りを高くすることも可能です、味を甘くすることも可能です、辛くすることも可能です、濃醇にすることも可能ですし、淡麗にすることも可能です。
以上のような味の要素をデジタルに分解して、お客様がインパクトを感じる要素を個別に強化するように造っていく技術は不可能ではありません。これでも十分お客様からの支持がいただけるのも真実です。私どもがそれをしなかったかといえば「しました」としか言えません。それもあってここまでご愛顧いただいてきたということも真実と思います。
それならそれで良いじゃないかということになるんですがちょっと待ってください。この論はお客様が進化するという観点が欠落しています。いつまでも技術の「とばくち」だけで勝負していると楽で良いんですが、そのうちお客様にその辺りの底の浅さを見抜かれてしまう危険性があるということです。特に嗜好品の場合は単純なものから複雑なものへ、移っていくと考えられます。また、これはそのように移行してもらわないと困ると思います。でなければ、娯楽性の高い商品がよく陥るように、より強い刺激を求めて、時には反社会的なところにまで踏み込まないといけなくなります。(たとえばより高いアルコール度数とか、極論すれば麻薬のような強い習慣性を持った「何か」とか)
だからお客様が進化するのは絶対正義だということです。と、言うことはそれに応え続ける事も酒蔵の当然の使命と言えます。
そんな思いでこの造りに入った初っ端から担当者には、マニュアルからの脱却ということを話しています。旭酒造は若い社員だけで酒造りに取り組んでいることもあり、かなり詳細なマニュアルをもって各担当者に指示を与えてきました。しかし、ここに来て各担当者が育ってきたということもあり、マニュアルに沿って作業を進めるということが決して優れた手法とはいえなくなってきました。
そんなこともあって、各担当者には「マニュアルを全てと思うな・極論すれば捨てろ」「より高い技術に挑戦しろ」「ギリギリのところでリスクをとっても高価な代金をお支払いただくお客様の気持ちになって挑戦しろ」と話しております。
今年も山口の山奥の小さな酒蔵・身の丈も省みず背伸びばかり続ける蔵・旭酒造をよろしくお願いします。