前回の蔵元日記で能登に行った話にちょっと触れましたが、ニューヨークに出張する2日前に能登へ行って来ました。

上野発能登半島行きの地酒列車と次の夜の能登半島各地の会場(11ヶ所)で開かれる食談義の一会場にゲストで呼んで頂いたものです。残念ながら地酒列車のほうは2日後にニューヨーク行きを控えてこれに参加するとアメリカできっと二日酔いで死んでいるに違いないと思われたので夜間の部は敵前逃亡(?)させていただいて、食談義当日の昼間だけ乗車するということで許してもらいました。

これは能登空港開港記念行事としてNPO法人である「能登ネットワーク」が企画した行事で、このわた・いしり醤油、勿論「開運」の波瀬杜氏や天保正一さんなど優れた能登杜氏などに伝承される酒造技術など能登の優れた食文化を全国に発信したいという目的で開かれたものです。

ゲストは豪華(私以外は)で作家の勝谷誠彦さんやピアニストの国府弘子さん・フルートの赤木りえさんなど。特に居酒屋を巡るエッセイで有名な太田和彦さんは個人的に著書のファンでもありますから、写真で見るだけだった本人に実際に接して感激しました。自分の会場はほっといて大田さんの話を聴きに行きたいぐらいでしたが残念。

と、いうようなええかげんな私が何の話をするゲストで呼ばれたかというと「技能を受け継ぐ/無濾過時代の旨い酒」というテーマだそうです。旭酒造が私と社員だけで酒を造っていることが面白がられて呼ばれたようです。

ま、会場である輪島市の中島酒造の社長も談義に加わるようですし、何よりこの蔵元日記に何度も登場しているフルネットの中野社長もコーディネート役で参加されるそうですから心強かったんです。

実際は食談義の会場に着いて見ると中島酒造の本宅の奥座敷が会場で、すでにお膳も準備されていて宴会の雰囲気。ほんとは十分ぐらい冒頭で話をしろといわれて準備していたんですがそれも話したかどうかわからないうちに宴会に突入していました。

会に参加していた某証券会社のキャリアOLの方から「わたしたちの仕事にも一脈通じる話で面白かった」というお褒めの言葉と一緒に「だけど酒を飲んでいる姿はまったくのんべのオジサンでしたね」という鋭い観察もいただきました。(ま、会場が良かったのと美人が多かったということで男の性で談義より宴会になってしまったとお許しをいただきたいと思います)

だけどホントにすごいお宅で、上がりかまちから奥座敷まで4メートル幅の、私なんざ滑らないようにするのに精一杯というぐらい磨き上げた黒檀のような見事な廊下がついていることでもわかるようにさすが輪島の旧家という趣のある奥座敷でした。

勿論食器も輪島塗を中心にすごいものです。ただ、何よりびっくりしたのは料理の美味しかったこと。普通地方都市で出てくる料理ですから、砂糖を使いすぎていたり、濃すぎたり、はたまた最近流行の味はともかくテーブルの装飾だけ一流みたいなモノがでてきそうなものですが、まったく違いました。

抑制された趣味の良さとでも言いますか、非常に洗練されているんです。派手じゃないけど粗野でもない。全国に漆器産地はたくさんあるのに全国制覇した輪島塗のお陰で全国の名旅館や料亭、そして旧家と輪島という地域がつながりがあったからじゃないかなと思うんですが、単なる地方都市の組み立てじゃないんですね。その前の週に行ったフロリダやその後行ったニューヨークのボリュームだけはすごい料理と好対照でした。

料理だけでなく器も奥座敷も洗練されていますけど全体に金をかけて作ったという感じは毛ほども見せないんです。

ここが大事じゃなかろうかと思うんですが、確かに現在このぐらいの組み立ては結構出来ます。金をかければ出来るんですが、だけどここまで行こうとすると生半可な金のかけ方じゃ出来ないと思います。

能登半島の人々が数百年をかけて醗酵熟成させた文化を、現代の消費文明がただ「取り寄せて」「要素を組み合わせて」「混ぜ合わせて」作る為には膨大な金がかかると思います。

最後に閉会レセプションで感想を求められて話したのはこんなことでした。

能登は素晴らしい。こんな文化は一朝一夕で出来ない。私は旭酒造の社長兼杜氏として「酒は技術で出来る」と日頃話しています。だけど技術を追求すればするほど技術だけで出来ない酒の奥深さを感じています。同じ米と麹を使ってなぜ中国人が造れば紹興酒になり、日本人が造れば清酒になるんでしょう。同じ麦を使ってもなぜウイスキーは蒸留したては飲めた代物じゃなくて麦焼酎は「ハナタレ」といわれて珍重されるほど最初から美味しいんでしょうか?

上手く話せませんがここには技術だけで語れない何かが有るように感じます。つまり日本酒にとって技術は大切なものですが技術だけで素晴らしいお酒が出来上がるほど「やわ」なものではないんではないでしょうか。

同じように能登は混ぜたりくっつけたりして出来るものではないので大切にしていただきたい。

いや、自分で書きながらかっこよすぎてまいっちゃうんですが、よく考えてみれば自分が一番今回能登に来て勉強したんですね。

能登と同じように日本酒というものは日本民族の育ててきた精神風土と歴史抜きには出来ないものです。前回の蔵元日記でも書きましたがこの形のまま外国にも提案していきたいと思います。このあたり外国人から見たら非常に理解し難いかもしれませんがきっとわかると信じて提案していきたいと思います。

奇しくも先日の新聞によりますとあの「トヨタ」が「クールな日本」を前面に打ち出すイメージ戦略に転換を始めたそうです。