本日2/11の日本経済新聞の朝刊一面に「焼酎が日本酒を抜く」という記事が載っていました。

これは焼酎全体(注)の出荷量が日本酒を抜いたという記事ですが、もっと衝撃的なのは同時期に出た日経流通新聞の記事です。「どこまで続く本格焼酎ブーム・清酒と逆転、最短で来年」と題してこのままで行くと最短で来年、最長でも2008年に本格焼酎の出荷量が日本酒を抜くという観測をちょっと長めの囲み記事にしてあります。過去30年の数量の推移から推計したもので、よく調べて書いてある内容でした。

後半になぜこうなったか、なぜこうなるだろうと推計されるか、分析が書いてありました。

「商品単体で比べた場合、好みにもよるが、清酒、特に吟醸酒の方が、本格焼酎よりも美味しいと感じる向きがあろう。しかし、伝統や文化、地域の原料にこだわる姿勢などの点においては、清酒メーカーの多くがそれらを捨て去っているのに対し、たとえば芋焼酎では頑固なまでこだわりを持っているなど対照的である」としてこういう企業努力の差によってブランド力に差がつき、このブランド力が逆転される原因となったという分析です。

「なるほどなぁー」とも思う反面、「これだけではこの問題を解析しきれないよなぁー」とも思いました。

旭酒造は常にお話していますように、地元県産米ということにこだわりません。山田錦という品種とその出来にはこだわりますが、兵庫県産も福岡県糸島産も山口県産山田錦と平行して約三分の一づつ購入しています。それで足らなければ岡山県産の雄町を購入しています。優れた米であれば国内産にもこだわらない、オーストリア産でも躊躇無く買うと公言しています。その上、今でこそ二割を越すぐらい山口県内で売れるようになりましたが一時は全出荷量の九割以上は首都圏を中心とした県外市場でした。つまり、最近言われる「地産地消運動」からすると最も遠いところにいる酒蔵です。

もう十年以上前になりますが、酒造組合がある団体と組んで清酒の商品力をアップするためのキャンペーンを推進したことがあります。その団体が打ち出したのは「ワインは各産地で産地呼称制度がある」、「日本酒にはその制度が無いから飲食サービスの段階で付加価値がつけづらい、日本酒も同じように産地呼称制度を導入しよう。」 つまり「地元の米で酒を造ろう」というものでした。彼らにとって私どものようなことを表明している酒蔵は目の上のたんこぶだったでしょうね。

その団体が酒造組合と共催で山口県内で開いた講演会で、武士の情けなんでしょうかねぇ「獺祭」という名前こそ出しませんでしたが旭酒造とわかる話し方で私どもの酒に対する姿勢をこてんぱんに批判されました。

こちらは赤くなるやら青くなるやら。「よし、この話が終わったら質問に立って満座の中で論戦を挑んでやろう」と身構えていました。そしたら何のことは無い、終わると同時に質問も受け付けず講師はさっさと退席してそのまんま。そのときの悔しい気持ち、わかりますぅ?(すいませんこの話になるとつい血圧があがって)

つい話が横にずれていますが、言いたいのは、地元の米を使おうということはつまり個性を大事にしようということと思います。個性を大事にするはずが自分達と違う意見の持ち主を攻撃していては本末転倒ではないかということです。

こういう経験が個人的には多くて、ここに日本酒業界の問題があるように感じてきました。業界とそれを取り巻くサポーターの中に自分が良いと思うことを絶対視する傾向があり、それに沿わない他者を排斥しようとする。(実際、旭酒造はある先生に国賊の酒蔵といわれました!!ただ、旭酒造からするとこういう石が飛んでくれば飛んでくるほど世の中に認知されているということなのでウェル・カムですし、個人的には反対にこういう風圧があればあるほど受けて立ちたくなる方なんで困るんですが。)

全体がそうだとすると酒造りの当事者段階でどうなっているかといいますと、酒造組合では地元の米を使って造る酒を推奨する、ところが一番高品質なもので競われることになっている鑑評会の出品酒は兵庫県産の山田錦を高精白して使用する。しかもそれを造っている杜氏そのものは昔から飲んでいる普通の二級酒が一番うまいと心では思っている。蔵元自身にしても必ずしも地元の米を使って造る酒がうまいとは思っていない。「品質がどうかよりもやることが大事」なんぞという太平洋戦争のときのスローガンのような話が続く。

これ、お客様は不幸ですよね。感の良いお客様から見たとき、業界が真剣じゃないことがわかるはずです。このあたりが日本酒が全体として本格焼酎に抜かれそうになるほど落ちてきた理由の一つではと思います。つまり推し進めようとしていることと実際にやっていることの間に自己矛盾がある。けっして、地元の米を使わなかったからでも、吟醸造りが行き過ぎたからでも、燗酒が軽視されたからでもないと思います。

要は酒蔵が自分の信じる酒、自分達が一番美味しいと信じている酒を市販酒として出していないことのほうが大きいと思います。

個性というのはただの原料の差とか造り方じゃなくて、自分の信じているものに自分の酒蔵の酒をどうやって近づけてゆくか、この少しの成功と失敗の連続の道のりの中ではじめて形作られ、お客様に認知されるものと思っています。

清酒は今大きなピンチにたっています。だけど大きなチャンスもこの裏にあると考えています。それははからずも前述の日経流通新聞の文章の中にありました。それは次の文章です。

「清酒、特に吟醸酒の方が、美味しいと感じる向きがあろう。」

お客様が一口飲んだ後で「あぁ、美味しいねぇ・・・・!!」と呟いていただける。酒蔵にとっては至福の瞬間です。この一言にかける努力こそ清酒の将来を切り開くキーワードと信じています。

(注)焼酎は二種類に分れています。主に大手メーカーで造られる廃糖蜜などから連続蒸留器で作られる甲類焼酎と、芋や麦などでんぷん質の穀類から単式蒸留器で作られる本格焼酎と呼ばれる乙類焼酎です。