前回の項でも書きましたが、旭酒造は山田錦を主力に、あと僅かに雄町を使います。最初から、この二種類だけを使っていたんじゃなくて、ここに至るまでは、いろいろ恥ずかしい失敗もいっぱいしてたどり着いたんです。
父が死んで酒蔵を受け継いだ時は、普通酒オンリーの酒蔵でしたから、酒造好適米なぞというものは縁遠いものでした。社員に聞いても「そういえば昔は雄町とか言う米が良いと言うんで島根県から買っていた」(島根県という時点ですでに間違いですが)なんぞと頼りないことおびただしい。
旭酒造の酒蔵は「山口の山奥の」というキャッチフレーズどおり山間の寒村にあります。ですから、酒蔵の周囲に私どもの蔵を維持していけるだけの市場規模としての人口集積はありませんでした。だけど、客はいませんでしたが田はありました。それも米が良いといわれていた山間の山田や棚田ばかり。
周囲に米以外の産業は僅かにつぶれかけの林業しかない上に過疎にあえぐ山村。そんな地域にへばりついてる酒蔵でした。
この現状に危機感を抱いた二人の農家と地元農協の農業課長の協力もあって、「地元の米で良い酒米が出来ないか。それが産業にならないか」と酒米作りにチャレンジしました。
最初は山田錦。ところが海抜500メートル以上の山地で作りましたから、晩生の山田錦は実が熟れる前に雪が降り始めてアウト。
もっとも経済連の関係者によると、この種籾が今の山口県産の山田錦の元になったそうです。無駄なことだけでもなかったと今になれば思います。
次の年は晩生の米だったからだめだったんだからと五百万石という早稲の品種を選んで再挑戦しました。
ところが他の米が熟れる前に熟れるわけですから、すずめの恰好の餌になりました。
この二度にわたる痛い思いに「じゃあ、中間の品種を作ればいい」と思いついたわけです。(単純ですねぇ)
それは北錦という品種です。結構良い米で50%程度までの精米で掛け米にするなら今でも良い米と思いますが、大問題がありました。それは山口県の指定品種ではないから等級が打てず闇米になってしまうんです。
何とか一年は拝み倒して購入させてもらいました。その当時から「米が売れない、売れない」と米消費拡大を訴えてはいても日本の農業は「売ってやる」農業だったんですね。
ところが、そうこうするうちに山口県で山田錦を作ろうという気運が盛り上がって経済連が乗り出すことになりました。そうすると山田錦は山口県の指定品種になりますから、もう闇米じゃなくなるわけです。
「それなら、やっぱり一番良いと言われる山田錦を作ろう。前回はあまりに標高の高いところで作ったから失敗したんで、今度は400メートル以下のところで作ればいいじゃないか」
だけど、さすがに農家が「もういやだ」と言い出しました。
つまり、こういうことです。酒造好適米は面積あたりの収穫量が低いんです。そのあたりは私どもにもわかっていましたから、マイナス分以上の米代金に対する補償金を出していました。
ところが、それだけじゃなかったんです。農業というのは隣人と同じ時に田植えをしなければ農業用水の過不足の問題が起こります。また、刈り取り時期が早くても遅くても前述のようなすずめの被害などが起こります。つまり、人と同じ事をするのが得で人と違うことをするのは損なんです。こういう農業形態を弥生時代の昔から日本の農家は繰り返してきたんですから、「人と同じイコール善」という価値観はDNAに刷り込まれた状態になっているんです。よって「人と違うイコール悪」もちろん「人と違う品種イコール悪」とこうなるわけです。そこには私たちの青臭い理想や理念の及ばないものがあったんです。
それをこちらは酒蔵のボンボンだから気がつかないわけです。反対に、中小企業にとっては、隣と同じことをやっていたんでは資金力の競争になって「資金力に限りがあるこちらにとっては勝ち目が無い。したがって違うことをしなければ生き残れない」んですから、このあたりの農家の心情は私には理解できなかったんです。
結局、山田錦を農家に作ってもらうことはおじゃんになってしまいますが、捨てる神あれば拾う神あり、良い話がめぐってきます。
一町歩ほどの田を父が小作に出していたんですが、作って頂いていた方が高齢で「もう作れないから返す」といってこられたんです。
ここで、自分で作れば良いと思いついたわけです。酒蔵は冬忙しくて夏は暇。どうやって従業員の給料を払おうかというぐらい。それなら空いた時間に米を作ればいいじゃないか。
しかも、10町歩以上作ったと仮定して試算してみると一俵あたりの生産費も1万4千円位。ちなみにそのころ山田錦の価格が3万円程度。こりゃあ儲かる???(こんなにうまくいくわけありませんけどね) (一町歩は3,300坪です)
山田錦は一町で平均70俵程度出来ます。当時旭酒造で2千俵米を使う規模の酒蔵になりたいと思っていましたが、そうすると30町あればそれが出来て、しかも一俵で1万6千円も安くなる。「うーん、こりゃあ儲かる」(こればっかり!!!あほですねぇ・・・・)
余談ですけど、当時中国地方の農家における一軒当たりの生産規模は平均で一町歩を切っていたと思います。そうするとスケールメリットがまったくありませんから一俵当たりの生産コストが2万6千円程度。それをなんと1万6千円程度で農協に売り渡して経済連が私ども酒蔵に二万円程度で納入する(日本晴など普通米の品種の場合です)つまり一俵で一万円程度の作れば作るほど発生する差損があるわけです。これで日本の農業に経営感覚のある健全な後継者が出来るわけありませんよね。「あぁ、あほらしい!!あぁ、腹の立つ!!!!!」
とにかく、欲と道連れで旭酒造の山田錦作りは始まりました。
翌年からあの「夏子の酒」の漫画連載も始まって、いい追い風になってくれました。もっともあちらは幻の品種の復活をかけての高度なレベル、こちらは欲と道連れ。
それでうまい事行ったかって、そんなうまい話があるわけないじゃないですか。
結局、最大の誤算は、農業の業界にとって私たちはよそ者だったということです。だからお客の段階でいる間はうまく行ってましたが、このように同業者として参入すると様々な軋轢が起こりました。
たとえば山田錦の種籾など三年連続で植付け寸前になって経済連に供給を断られて、そのたんびに個人的な伝手をフル回転させて何とか間に合うよう手に入れました。
結局これらの様々な障害を乗り越えることは出来ず、今にいたるも自社で作るのは50俵程度の試験作付けレベルにとどまっています。
ただ、まったく無駄な努力ではありませんでした。最初の50俵あまりの山田錦を前に「せっかく、自社で栽培した山田錦だから何かメモリアルなものを造りたい。どうせ人件費は社員と自分だから考えようによっては無視してもいいものだし。考えようによってはただの米と考えてもいいんだから失敗してもいいから何かやりたい」と考えて、結局この米が山田錦23%精米の「獺祭 磨き 二割三分」を生み出したんです。
また、こんなあっちにぶつかりこっちにぶつかりの試行錯誤の連続を通して、それをみかねた方からうちの山田錦を使ってくれと申し出をいただくようになりました。
山口県内の船方農場や兵庫県のみのり農協なんかはそんな経緯の中から付き合い始めた私どもの大事なパートナーです。にも、かかわらず、船方農場の村田課長なんかには「どうせやるなら、うちが感激して一俵二万でも三万でも上乗せするからなんて言いたくなるような山田錦を作ってよ。今の品質が当たり前じゃないんだぜ。」なんて罰当たりなことを口走っています。(注)馬鹿は死ななきゃ直らないんでしょうねぇ。
(注)船方農場は今年から更なる山田錦の品質向上を目指して三年計画で特栽米計画をスタートさせました。