あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

今年の旭酒造の目標は実はここ数年変わらないテーマです。日本的なものの追及と日本的なものへの決別です。

日本的なものの追求とは「洗練」と言うことです。「カイゼン」と言い換えてもいいかもしれません。

酒を造れば造るほど感じるんですが、日本酒の造り方ほど日本人の民族的個性を感じるものはないんです。「それが何だ」と言われるほどの細部へのこだわり。同じ米と麹から酒を作って中国人が作れば紹興酒になるのに日本人が作ると日本酒になってしまう不思議。

一部に「もっと紹興酒的なものへ日本酒はなるべきだ」とか「ワインのような価値観で造るべきだ」と言う意見もありますが、旭酒造はそうなりたくないと考えています。日本人の民族的個性の極致としての清酒にこだわりたいと思います。そしてそのままの商品を海外にもって出て、外国の方にも楽しんでいただきたいと思います。

もう一つの日本的なものへの決別とは、反対に日本人であるが故の弱点の克服です。日本人は「神は細部に宿る」と信じていますから、細部にこだわるんです。これはともすれば細部にこだわりすぎて、本質的なところが(結果として)追求できないという欠点を持っています。

前々回の蔵元日記の繰り返しになりますが、私どもにとって本質とは美味しいか美味しくないかです。お客様の「ああ、美味しい」の一言に全てをかけたいと思います。

最後もう一つ決別すべき日本的なものがあります。それは「縮み思考」と言うことです。我々は良きにつけ悪しきにつけ「並外れて」ということの少ない民族です。たとえば歴史上をとっても中国や欧米のような圧倒的な悪人もいません。どうやら中庸であることに平安を感じる民族のようです。

このことは酒の世界で見たとき平均的なものしか造れないという事です。確かに日本の清酒にワインのように一本あたり7~80万円もするものがありません。これは品質というよりもこれだけの商品を作り上げる構想力とか哲学とか、技術ではなしに、そういった総合力のパワー不足だろうと思います。

私たちもどちらかというと高額品より安価な酒を造る方が心理的に居心地がいい。たとえば「一升2500円以下でこの品質。凄いねぇー」とほめて貰えるような。

もちろんこれも大事ですけど、ここには次の世界に向けて現状をぶち破るパワーを感じることができません。第一、海外で売ることも多くなった現在、日本酒がワインの下に置かれていたら我慢できないでしょう?

この一年海外にずいぶん出張する機会がありましたが、そこで思ったことはこのことでした。だけどこれは一番大きな壁です。旭酒造だけで到底超えられない壁です。きっといろんな蔵元が独自の考え方で独自に戦いながら血と汗を流して、その結果なんとなくいつのまにか乗り越える何かが出来上がっていく、そんなもののような気がします。

だけどそんな突き抜けた何かを持つ酒を求めていきたいと思います。今年もよろしくお願いします。