昭和59年にものすごい売上げ減にあえいでいた酒蔵をついで、所轄の税務署の担当官から「あがけばあがくほど沈む泥沼」と揶揄されながら(彼らはまさか生き残るとは思っていなかったんでしょう
ね)、まったく上向きにならない酒蔵の業績を何とかしようとあがき続けたことはいつかお話したと思います。
「うちの酒にはよその酒のように景品(注1)がついてないから売れない」などの母や社員達が話す酒が売れない言い訳も純情だった私にはすべて真実に聞こえました。
ところが、いざ皆の言う「これがうちにはないから酒が売れない」という条件を、たとえば景品をつけてみるなどそろえてみると、この正しいと思われた理由が売れないことを正当化させるためのただの言い訳にしか過ぎないことが判明するばかりでまったく売上げの回復に結びつきませんでした。
とはいえ、皆は「売れない」と嘆いていればいいかもしれませんが、実際に売上げを回復させなければ経営者の私は首をつるか一家心中をしなければいけません(注2)。
そんな中で思いついたのが、当時灘・伏見の大手メーカーが出し始めたばかりの紙パック詰め清酒(1800ml)でした。調べてみると半自動の何とか私どものようなつぶれかけの酒蔵でも手を出せそうな充填機も見つかりました。通常の瓶詰め製品に比べて一本あたり約6倍の人員が必要でしたが、なんせその頃、毎日・毎日「売れないから仕事がない。今日は何をしましょう。」と社員にぶつぶつ言われていた私としては問題になることではありませんでした。
実際に生産開始してみると大ヒット。「うちの新製品なんて売れるわけないだろう」と弱気になっていたセールスも、酒蔵からセールス活動に出る時点で紙パックしかトラックに積ませないというやり方が功を奏して午前中にはトラック一台の積荷を全部売ってしまう大戦果。いつもは気弱そうに下を向いて皮肉しか言わないセールスもなんとなく自信を持って胸を張っているように見えました。
この大ヒットに気を良くした私は最近はやりのワンカップならぬ紙カップ(180ml)も造りたいと目論見ました。ただ、紙カップはパックのような安い充填機はありません。一千万円以上の価格がついていました。恥ずかしい話ですが当時旭酒造にこの価格の酒造機械を購入できる余裕なんてありませんでした。
ところが良く調べてみると、紙カップというのはカップの内面に樹脂がコーティングされておりそこへアルミの蓋が熱で蒸着される構造となっていました。
「そうや!! アイロンや!! アイロンでつけたら良いんや!! 機械なんかいらん!!」
一千万円の機械の代わりに数台購入されたアイロンと暇を嘆いていた瓶詰め場のおばちゃんたちが活躍してくれました。こうして紙カップを充填することができるようになり、一時は紙パックと紙カップで旭酒造の全出荷量の二割を占めるほどの勢いでした。
この紙製品がどうなったかといいますと、結局やめました。充填時にあまりの人のいるのに耐え切れなくなったんです。それと普通酒が価格競争の中でまったく売れなくなったこと。紙製品を扱っていたお取引先からは「うちがせっかく売ってやってるのにやめるとは何だ」と怒られましたが。しかし、人件費がかかるということは結局酒蔵も企業である限りその人件費代はお客様からいただくほかありません。しかも、この場合は紙製品の売り上げも減り続けるわけですから、今は合わなくても将来は生産量も増えて採算が合うだろうという未来におけるスケールメリットも期待できません。
企業の身を削ってなどときれいなことを言っても、企業の存続を考える限り、お客様にご負担いただけなければ倒産するわけですから、品質低下につながっても製造原価を落とすか、紙製品でこの負担分をカバーできなければほかの瓶詰め品の原価をおとしてカバーするしかないわけです。
それに、あれだけ「酒が売れないから仕事がない」と嘆いていた古参の社員たちが、実際に忙しくなるとみんなやめてしまったからです。
(注1)一時は酒によく「おしゃれ小鉢」などと名づけてお皿などの景品がついていましたよね。私の友人の林慧子先生は定年後の男どもの生態を観察して「濡れ落ち葉」ならぬ「おしゃれ小鉢」と称していました。その心は、「なんにでもついてくるけど結局役に立たない・・・・」んだそうです。 まったく・・・。 お互い頑張りましょう。
(注2) 零細企業の経営者は銀行借入金と個人補償がリンクしていますから企業の破綻イコール個人の破綻となります。また、そのときに自分の生命保険金を返済金にカウントしてみない経営者はいないと思います。だから近年、長銀とかそごうとか大型倒産が相次ぎました。関係者の自殺という何人かの痛ましい事故も置きました。しかしこれらの負債総額と同じ総計金額で何億単位かの中小企業の倒産が複数発生したとしたら、おそらく経営者の自殺は数十人ということになるんじゃないでしょうか? これは生命倫理の点から正しいとか正しくないとかの問題ではなく、現実そうだということです。
その意味では近年の政府による破綻大企業の救済ほど中小企業の経営者を白けさすものは無いですね。