少し刺激的なことを書きます。最近世間を騒がせている耐震強度偽造の問題。この蔵元日記が配信される頃にはもう少しはっきりしているかもしれませんが、現在のところ(11/25)では関係者全員がお互いに責任を押し付けあって、結局誰が責任者かわかりません。
検査を受け付けた半公的機関の検査機関はわれ関せずと嵐の過ぎるのを待っている、マンションなどの構造計算を偽装した建築士は「発注者である建築会社とマンション販売業者から圧力を掛けられたから」と他人事のような回答、建築会社はいち早く倒産して「建築士にだまされた被害者」と強調、マンション販売業者は「自分もだまされた被害者で国や自治体の援助があれば販売したマンションを建て替える」とこれも自分たちも被害者と強調。
話が複雑なので誰が悪いのか最初はまったく理解できなかったのですが、よく考えるとこの四者の弁明を聞いているとまったく最終顧客であるお客様という視点が抜けているのに気づきます。
実を言うとこの最終顧客という視点さえあればこのような事件は起こらなかったような気がします。たとえば、建設会社は被害者と言っていますが、本当に強度が偽装されていることに気がつかなかったんでしょうか? 普通現場レベルで「なんかおかしい」という声が上がるはずです。確かに私たち酒屋にマンションの強度レベルを見抜くことは出来ません。同じように、もし私たち酒蔵が酒の製造段階で何らかの偽装したとして建設会社の方に気がつけといっても無理だと思います。しかし私は酒のことなら気づきます。一度ぐらいはだまされて気づかずにいたとしても何回もあれば気づきます。同じことは建設会社にも言えると思います。なんせ彼らはプロのはずですから。
つまり彼らはお得意先という感覚はあっても最終消費者という感覚はなかったんだと思います。検査機関のお得意先は国、建築士のお得意先は建設会社と販売業者、建設会社のお得意先はマンション販売業者。つまり彼らのお得意先のご機嫌さえ良ければよしとする。
もうひとつ、建設会社やマンション販売会社の社員にとってのお得意先は雇用主である社長だから社長のご機嫌さえ良ければOK。(注1)
目前のお得意先は誰であろうと、最終消費者は誰か? そして結局自分たちはこの最終消費者によって雇用されているということがわかっていればこんなことは起こらなかったと思います。(注2)
「だから君たちにとってもっとも大事なのは社長じゃないし酒屋さんでも飲食店さんでもない、獺祭を飲んでくれる最終のお客様や」と、いうようなことを社内で話しています。しかし、これは怖いことですね。社員が社長でなくお客様に対して忠誠を誓う。つまり、私がおかしなことをやると社員から告発される恐れがあるんですから。「あぁ、こわっ・・・」
(注1)マンションの販売会社の社長だけこの理論で解釈不能ですが、おそらく彼にとって会社はビジネスというゲームだったんだと思います。だから原価は安いほうがいいし、商売は拡大して最大利潤を追求することが善だったんでしょう。
(注2)ということは私も最終消費者に雇用されているということです。もっともこの男だけは「声の大きな少数意見じゃなく声の小さな多数意見が大切」とか「お客様に本当の美味しい酒をお届けするためには一部の偏った意見やわがままは聞けないこともある」なんぞと、時には酒屋さんやマニアのお客様と喧嘩になったりして、始末におえないんですが。