平均年齢の若いことが売り物の旭酒造の製造スタッフも流石に時の流れには勝てず一年ごとに平均年齢が上がっていきますが、今年は少し下がりそうです。と、言うのは、この四月から大学を卒業して22歳の弘津君が入社するからです。尤も、二月からよんどころ無い事情で休んでいる麹担当者に代わって製麹の指揮をとっている松村君(本来は瓶詰め担当)のサブとしてすでに来てもらっていますから、四月から正式入社といっても、本人としては感動のないことおびただしいかも知れません。

彼も本来は公務員志望で、一次試験をパスしていたのにそれをやめて旭酒造に入社してきた変り種です。そうすると、「日本酒が好きで、酒が造りたくて」というよくあるパターンのようですが、彼は旭酒造に入社が決まるまで日本酒にさしたる関心はなかったようです。純粋に地元の企業として興味を持ち、その結果として旭酒造に入社したいと申し込んできたようです。

実を言うと、旭酒造の社員はこのパターンが多く、「日本酒が好きで」という思いからという社員は過去少数で、面接で聞いてみると「日本酒なんて飲んだことない」と答えた社員がほとんどです。

これは、業界としては若年者の需要開発が出来ていないということで憂うべきことですが、旭酒造としては好都合なんです。酒は本来「米を担いでなんぼ」「ホースを引いて走ってなんぼ」で出来る。担当者段階の思い入れで出来るんじゃじゃなしに、作業の連続の結果として出来る。酒造りというものは、まず酒蔵の根本理念があって酒の方向性が決まり、その上にその方向性に最適の技術が選ばれる。理念の上に技術が乗る。そんな考え方の旭酒造にとってはなまじっか知っているより知らないほうがいいんですね。

もちろん、安心していただきたいのは、この酒蔵で日本酒に初めて出会った彼らが日本酒にはまって行くことです。その意味では、よく言われることですが、現実に彼らの出会ってきた飲酒シーンに「また飲みたくなる日本酒」がなかったということでしょうね。

ただ、ひとつ困るのは、入ってきた彼らを見ていると、現代の機械文明至上主義(注1)から来てると思うんですが、養老先生(注2)言うところの「ああすればこうなる」式の硬直した考え方をしている者がほとんどなんです。

酒造りはテクノロジーが大事でマニュアルで酒は出来ると公言している私が言うのもへんですが、酒造りは「結局分からないということが分からない」と本質は理解できないんです。学校の勉強は必ず正解がありますが、酒造りに正解はありません。最近、酒造りのメカニズムもかなりのところまで解析されて、その結果やっと「最終的に解析しつくすことは不可能ということがやっと解析された」状態と思います。

これが分からないとマニュアルを渡されて造る酒造りから先に進むことが出来ません。つまり、70点は取れるけど、98点は取れないし、98点を狙ったけど結果として85点しか取れなかった「次点としての85点」も取れるわけないんです。

おかげさまで、そんな社員の中にもぽつぽつそのあたりを理解している社員が出てきています。これから何人の製造スタッフがこのことを理解することが出来るかが旭酒造としても次のステップに進むことが出来るか否かの勝負の別れ目と考えています。(まったく今まで聞いたこともない考え方を要求される社員のほうは大変でしょうが)

ところで、毎年数人が入ってくるということは、毎年数人がやめていくということです。小さな酒蔵ですから、なかなか彼らの希望に応えてやる事も出来ず、また育てきることの出来ない自分の力不足に対するもどかしさと貴重な青春の一時期をかけてくれた彼らに対しての申し訳なさで一杯なんですが、最近ちょっと隠れた自慢があります。

それは再就職先として酒蔵を選ぶ人間が過半数を超えていることです。そこで続くかどうかは別ですが、それだけ魅力あるものと酒蔵を捉えてくれているということですね。ま、旭酒造はあの社長が問題だからやめたけど、酒蔵の仕事そのものは面白いし将来性あるものと捉えてくれているということですから、ちょっとうれしい。

(注1)この機械文明至上主義の感覚は、地元に本社のある中小企業が少なく、地元の主要産業が大企業の出先工場である、つまり「手」はあるけど「頭」が地元にない、「手」としての機能性ばかりが求められ自分の「頭」で考えることは許されない地方都市の場合特に顕著にあると思います。

(注2)後存知「馬鹿の壁」や「スルメを見てイカが分かるか」などのベストセラーを著した東京大学元教授