今回は番外編で求人の案内をさせてください。
旭酒造では正社員の製造スタッフを募集しています。
ご存知のように、旭酒造では年間を通しての酒造りの体制です。日曜日は原則として休みです。また、8:30始業17:30終業です。
旭酒造の製造現場は一般に考えられているこだわりの酒造りの現場とは微妙に違います。しかし、たとえば、洗米の吸水誤差は0.2%以内、モロミの品温管理も0.1度が問題になる、結果だけが認められるシビアな現場です。自分の既存イメージにとらわれる人でなく、素直に自分を変えられる人を求めています。
もちろん、将来の酒造部門の幹部に育っていただける方を期待します。旭酒造の酒造りに興味のある方は弊社までご連絡ください。
(麹室増築)
麹室の増築がスタートしました。例によって大工さんは錦帯橋の付け替え工事を担当した兼森さんです。昨年に引き続き今年ですから、慣れたもんです。そのうち、二階の空いたスペースは全部麹室に変わりそうです。
(蔵元の読書日記)
最近読んだ本で面白かったのは「ハイコンセプト」(ダニエル・ピンク著)です。書店によくベストセラーの扱いで積み上げてあるところが多いから、読まれた方も多いのではと思います。
読んでない方に説明しますと(えらそうにねぇ・・・・)、機械文明の発達と共に人力が機械に取って代わられて、それまで人間の体力の屈強さが経済活動という面でも重要であったものが、機械が台頭することによりその面での重要性が薄れ、変わって知識とか計算能力が重要なものになってきた。同様に、コンピューターの発達により、いわゆる計算や知識の量で成し遂げられるものはコンピューターに任せることが出来るようになり、その結果、人間にはこれまでと違う新しい能力が必要になる、と言うものです。
私のように理数系の頭脳の出来に自信のないものにとって、「それをコンピューターが受け持つから必要なものではない」と言うわけですから、「よっしゃあ!! これからはワシの時代じゃ」などとふんぞり返りたくなるようなことが書いてあります。(この話は落とし穴があります。理数系の頭脳が必要でない代わりに創造力とか全体を見て本質を理解する能力が必要になると本当は厳しいことが書いてありますが、おめでたい蔵元は最初は気が付きませんでした)
ただ、最後にこんなことが書いてありました。
一人ひとりが自分の仕事を注意深く見つめ、次のことを問う必要があるとして、!)この仕事はほかの国ならもっと安くやれるだろうか?!)この仕事はコンピューターならもっと安くやれるだろうか?!)自分が提供しているものは、豊かな時代の非物質的で超越した欲望を満足させられるだろうか?!)は別にして!)と!)は、考えてみると、(なんと…怪我の功名か…!?) これを旭酒造はクリアしているんです。たとえば、「獺祭」が中国で出来るでしょうか? 一応、清酒を造ることはできるでしょうが、「獺祭」を造ることは不可能です。年間にタンク一本だけ作れといわれれば、徹底的に監督すれば、私のほかは中国人スタッフでも出来るかもしれません。しかし、今と同じ数量を造れと言われれば現状の獺祭の品質水準ですら維持することは、オール日本人の製造スタッフと、ツーと言えばカーと言う日本的メンタリティを持った業者の支えがないと不可能です。(業者の皆様、「それなら日ごろあんな無茶苦茶な事ばかり言うな」といわないでください。申し訳ありません。)
また、コンピューターでやれるでしょうか? 出来ないことはないでしょうが、あんなに醸造の各段階でセンシティブにコントロールしようとすれば、とんでもない精密な制御機能が必要です。
どちらも、やってやれないことはないが、それには天文学的な経費がかかる、つまり地酒の市場規模から考える限り不可能と言うことです。
だからこそ、地酒蔵は存在する意味があります。手作りだから良いんじゃなくて、結果として手作りを選択せざるを得ないところまで踏み込んで造るから地酒はすばらしいんです。
実は地酒の世界を眺めていると、手作りの必要がないのに、また手作りというほどセンシティブに造っていない「できちゃった」状態なのに、手作りを標榜したり、地域にあるというだけで「地酒を大事にして欲しい」と主張している場面が良く目に付きます。消費者はステレオタイプのイメージ(それも表面的な)で充分引っ張れると思ってるんでしょうか? このあたり下手すると地酒の将来をつぶすんじゃないかと危惧しています。
たとえば、日本酒業界の「悪の権化」のように言われるアルコール添加も、もしまったくなくなってみんな純米酒になってしまうと、アルコールでごまかすことが出来なくなりますから、価格面よりも下手をすると品質面でかなりの地酒蔵が大手メーカーの純米酒に苦戦するんじゃないでしょうか。(このあたり、一般に信じられていることと真相は逆だと思います)
だから、もっともっと地酒でなければ出来ないところまで踏み込んでいくべきと思います。でなければ、技術的な掘り下げ面やスケールメリットで勝る大手メーカーのほうが優れているのは当たり前です。踏み込む勇気が有るか無いかがこれからの地酒の分かれ目のように感じます。