前回の蔵元日記でお話したマンゴー事件の台北のあと、香港に一泊だけして、ロンドンにやってきました。ロンドンにやってきた主な目的は在英日本大使館との官民共催による酒の講演・試飲会(ザ・グレート・サケ・テイスティング・イン・ロンドン)に参加するためです。
イギリスの料理研究家シャーリー・ブースさんの「日本の米と自然」と題した日本の風土と料理についての講演と、わが敬愛するサケ・ガイ(本人はこう名乗っております)のジョン・ゴントナーさんによる「酒の魅力と文化」についての講演を聞いてもらったあと、北は北海道から南は九州まで約50社の酒を楽しんでもらおうという企画です。
開催前日になって「桜井さん、あんた、蔵元代表の挨拶をしてくれない?」という依頼がありました。「いや、いいけど・・・」一応OKはしましたが、参加蔵元の中には獺祭よりはるかにメジャーな清酒メーカーもいれば地酒としてもはるかに名の通った酒蔵もいます。「いいんかなぁ、僕で?」とも思いました。(だけど、俗人としては名誉欲もある)
ただ、恥ずかしながら、見渡したところ、私が一番年上のようで、最年長だから選ばれたみたい。ま・・、「私のような若輩者が、僭越ではございますが、蔵元を代表しまして一言ご挨拶を・・・云々」的なのりで行けばいいんだな・・、と。(この一言という人に限って話が短いためしがない・乾杯の前に45分も話した蔵元もいたなぁ)
ところが、その夜、酒を飲みながら「使命」に気づいちゃいました。と、いうのが「日本酒とはどんな特性があってどんなものかを説明しなければいけない」というものです。それも外国人に対してではなく、日本人(!?)に対して。
つまり、外務省。どういうことかというと、どうもこの省庁が日本酒を理解しているとは思えないからです。個人的には、獺祭をわざわざ日本から取り寄せて飲んでくださっている方もいらっしゃったり、ご存知の方も多いと思いますが門司健次郎さんのように赴任される任地の先々で日本酒のすばらしさを広めていただいている外交官の方もいますが、全体的にはどうも怪しい。欧米文化に対する憧れと、反対に日本の固有のものに対する偏見が有るように感じています。
前に蔵元日記でも書きましたが、2000年3月の在仏日本大使館のワインの購入代金が846万6300円。対して日本酒の購入代金は2万9400円。これをもってしてもこの省庁の考え方がわかろうというものです。だけど、はなから相手の土俵(食文化)に上がっているようじゃ外務省の本業である外交戦争に勝てそうにはありません。
と、いうことで表向きは出席いただいた外国の方を対象のように見せて、日本人に向けての日本酒の説明のスピーチをすることにしました。それも、戦法としては紹興酒とワインを上げて違いを説明しながら日本酒の特性をきわだたせようという作戦。
さて、当日、試飲会場の一番乗りは、髭の大使閣下でした。「この人が田中真紀子さんの喧嘩相手か・・・、流石、英国大使ともなると存在感あるねぇ!」とミーハーチックに感動(?) 獺祭も試飲していただきましたが、忙しかったからか、心ここにあらずという風情でした。だけど、手伝いに来てくれていた在英日本人の中年女性たちのちやほやする事。あっちはパブリック・サーバントでこっちはそのスポンサーの旦那衆なんだけどなぁ。残念。そんなこんなでザ・グレート・サケ・テイスティングは始まりました。
私のスピーチの同時通訳は贅沢にもジョン・ゴントナーさん。通訳の出来が悪いから真意が伝わらなかったなどと言うことはありえない通訳です。まさか、中国とフランスの逆鱗にふれたからとスピーチの壇上から引き摺り下ろされることはないでしょうから、少々の冷たい視線を浴びることは覚悟で行っちゃいました。
まず、もち米とバラ麹という違いはあるにしても、米と麹から造る点で大体一緒の中国の紹興酒をあげて、誰だって同じ原料から出来るとは思わない日本酒の「色」「香り」「味」の相違点を日本人の国民性から説明しました。
次に、同じ醸造酒であるワインをあげて、違いを説明しました。日本酒のワインとの相違点は工程が複雑なこと。また、その作業工程の一つ一つによりセンシティブなコントロールが必要なこと。それによりこの華やかで軽快な香りと繊細で洗練されてなおかつ複雑な深みを持つ日本酒が出来上がること。
これは日本には杜氏という優秀な酒造りの技能集団が歴史的に存在したことが大きな要素であること。日本はイギリスと同じように島国であるが、過去数千年にわたって単一民族であり、このことが他国と比べて精緻な酒造作業もこなす優秀な労働集団を可能にしたこと。
つまり日本酒というのは日本民族の歴史と文化から必然的に出来上がったものであるということ。だからこそ、世界中の皆様にこの日本酒を紹介したい、また楽しんでいただきたい。
と、まあ、こんな話をさせていただきました。話はとりようによれば刺激的ですから、顔はにこやかに、長くても聞きゃしないから短く行きたいと思っていたんですが、何とか3分ちょっとで話も終わりました。おかげさまで、壇上から下ろされることもありませんでしたし、帰り道に暗がりで殴られることもなく無事に日本に帰ってきました。
だけど、原料に重きを置くワインと比べて技術に重きをおく日本酒はまったく違うものですが、海外に出張してみるとその理由がよくわかります。たとえば、同じ島国でもこのイギリスの異様なほどの他民族の洪水。フランスなんかも、最近の暴動でも顕著なように相当なウエイトの他民族の集合のようです。つまり、他民族で侵略をし合ってきた欧米にとって常に奴隷や植民地からの入国と言う形で、実労働人員には困らなかったと思われます。
しかし、その結果として労働者階級の質には疑問符が付いたと思います。(注)
つまり、ぶどうの選定のような仕事をさせることは出来ても、醗酵の精緻なコントロールをさせるなどと言うことは期待できない。技術的なものより原料やそれを生み出した土地にこだわる、現在のワインの価値観はこのような要素もあって生まれたものと思います。
対して、日本酒は、同一民族であるが故に精緻なコントロールを可能にする労働者階級に恵まれます。これが日本酒の「技術にこだわる」という個性を作りあげたと思います。また「日本酒はワインのように地域というものにこだわらず、技術にこだわりすぎている。だから、古の姿に戻って結果よりも技法にこだわる伝承芸能的なものにならなければいけない。」という一部関係者の議論にもつながっています。
ところが、これまで述べたように、ワインで言うテロワールは日本酒にとって日本の社会なんです。外務省だけでなく、業界の関係者にも言いたい。「ワインの価値観で日本酒ははかれません。欧米の価値観で日本をはかってもしょうがないでしょう。日本は日本です。あるがままの日本の魅力を感じてもらいましょうよ」
(注)たとえば、欧米で、一流ホテルなどを見ても全体の豪華さと比べてなんともちんけな細部の作りに驚く方が多いと思います。このあたり、作業員の質も原因になっていると思います。また、労働を人間の原罪と捉えるキリスト教的価値観と比べて日本では労働に対して素朴な賞賛があります。日本での「職人」という言葉には欧米と比べると高度な職業としてのイメージがあり、現実にレベルも高いと思います。