ロンドンで散髪に行ってきました。在英日本大使館での試飲会は夕方からですから昼まで時間が空いて、何をしようかと思っていたところにパディントン駅の近くで散髪屋を見つけたのがきっかけです。後で中東系とわかりましたが、イタリア系の主人みたいに見えて店内は清潔そうでした。そのときはセンスも良さそうに見えました。

向こうもこの何も話せないおっさんの突然の出現に面食らっていました。が、そこは商売。身振り・手振りでお互いに打ち合わせ。ベリー・ショートか? という質問に「否」と首を振ったら、ビジネス・ヘアか? と聞いてきたので、一抹の不安感はありましたが、首を縦に振って「OK」の返事。

サービスのつもりか怪しげな中東音楽をBGMにかけて踊りながら!! 髪を刈ってくれました。(ここで始めてヨルダン人と分かったんです) 御代は、すべての物価が日本の二倍に感じられるロンドンとしては異例に安い、洗髪なしで9ポンド(日本円で2千円くらい)

さて、その仕上がりは・・・・?  自分じゃ前は見えても後ろは見えないんで皆に聞いてみるもいまいち分からない。「うーん・・・、勇気あるねぇ」とか「結構、安いんだ」とか。「出来はどう?」と聞いてみるんですが、「ま、良いんじゃない」という返事ばかり。

「どうも出来は悪いんだな」とさすがに気が付いて、日本に帰国後、行きつけの理髪店に直してもらいに行きました。「こりゃ、下手だねぇ。後ろ、段になってますよ」と店の若旦那。若旦那にしてすでにこれだから、口の悪い大旦那(要するに散髪屋のオトウチャン、私より5歳ぐらい年上。変に気があって、もう30年ぐらい通っています)なんかひどい反応と覚悟したんですが、あにはからんや、首をひねっている。

「これ、ロンドンでしょ? ヨーロッパってレベル高いんだけどね。この前、理容組合でよんだフランスチャンピオンだってモデルの髪の保有湿度まで気にしてヘアカットするぐらいだったですよ。日本の理容師たちにはとてもあんな感覚はなかったのに」との反応。

「フランスチャンピオンとヨルダンのお兄ちゃんを一緒にしたって無理だぜ」と思いながら、聞いてみました。「それって、こういうことじゃないかねぇ。日本に100人理髪職人がいるとすると20人は出来が良くて20人ほどどうしようもないのがいる、残りの60人はまあ普通。欧米だと3人ほど超上手いのがいて、残りの97人は日本の出来の悪いのと普通の中間ぐらい。その代わり、超上手い3人は日本の上手い20人よりはるかにレベルが高い。そんな感じになってない?」と。

「うーん・・・・」と、大旦那は必ずしも納得はしてないようでしたが、おそらくそんなに外れてなくて、日本の社会と欧米の社会を比較したとき感じる構図と理容業界も同じ構図になっているのではと思います。

ところで、酒の世界も同じことが言えると思います。前回、日本の民族が歩んできた歴史と置かれている地勢的要件が杜氏という優秀な職人集団を生み出し、それが今の日本酒の特性を作り出したという話をしました。これが、現在の日本酒を形作る上で歴史的には大きな貢献をしてきたわけですが、同時にこの日本的な職人集団である杜氏が日本的であるがゆえの「問題」もあると思います。

平均的に優れた職人集団の層が厚いため、そこそこ迄来るんですが、欧米のようにむちゃくちゃ優れたエリートを生み出すように社会が出来上がってないので、ある一定から先にいけない。おそらく、「まじめに仕事をすることが大事。そして協調が大事。それ以上に何がある?」という感覚に現在の杜氏さんたちはあると思います。(あくまで全体です。個々にはそうでないケースもありますが、それを言い出すと話が進みませんので)

これは今までみたいに日本酒が日本でだけ消費される物である時は良かったんですが、現在のように世界に出て行こうとするとき「世界において絶対的な価値を持ちうるか?」というとマイナスに働くと思います。

過去数百年にわたり杜氏が育ててきた「複雑な工程をたどる技術の酒・しかも常に技術的な洗練を繰り返す」という日本酒の特性は大事にしながら、というよりもさらに日本酒を突き詰める為には、技術や手法などの変化も恐れず突き進める時と思います。それが日本酒のやり方ですから。そうしなければ、いつまでも世界の中では「熱して飲むことも出来るちょっと面白い酒」の地位から脱却できないと思います。

今こそ、「良い酒とは何か(注1)日本酒とは何か(注2)」「日本酒は日本的な価値観を有したまま世界に冠たるものになりうるか」ということが問われているときです。実を言うと、この問いは結構大変な問題で、あのトヨタでさえ、日本的「改善」の精緻ともいえるレクサスを、欧米のライバルメーカーに伍して、高級車ブランドに育て上げるのに、日本的造り込みを突き詰める方向で育てようとするのにこだわるあまり、生みの苦しみに直面して苦戦しているように見えます。もっとも、ここで欧米の価値観を真似た車でいまさら目的が達成されても、それはトヨタのプライドが許さないと思いますが。

同じ話で今は日本酒にとって、大変な時期と思います。だからこそ、この時期に日本酒に関われることを心から感謝しています。

(注1)吟醸が良いとか純米が良いとか金賞をとることが良いとかではなく、蔵元が個々に「良い酒」と信じる酒のことです。ただ、信じるのは自由ですが、その酒が普遍的な価値を持ち得ないなら消え去ることになります。だってねぇ、私たちはそれでお客様から御代を頂いているんですから。

(注2) ここで言う日本酒とは、どこかの団体の言う「日本の米で造った酒だけを日本酒と言おう」ぐらいの価値観でくくれる日本酒ではありません。

(ニューヨークの休日)

酒を造るとき、イメージする情景があります。東欧や中東あたりに駐在している日本企業の社員。半年に一度のたまの休暇に、日本まで帰る余裕はとてもないから、せめてニューヨークまで帰って休暇を過ごす日本企業の駐在員。

あまりの異文化の洪水にくたくたになった心を抱えながらどこかレストランに入る。ニューヨークですからたとえフレンチでもそこそこの店に行けば日本酒もメニューに載っており、セレクトできます。

そんなときの彼らに、「美味いなぁ!!」と思ってもらえる酒を造りたいと思います。このとき、ノスタルジーだけで、背中を丸めて、「懐かしいなぁー」と思うんじゃなしに。

彼らがプライドを持って「日本の酒は美味しい」と思ってもらえる酒でありたいと思います。