今年も2月21日に恒例の「獺祭新酒の会」を東京永田町の都市センターホテルで開催させていただきました。前回会場が狭くて来られた皆様にご迷惑を掛けたため、今回は同ホテルの最大の宴会場に移しての開催でしたが、300人を超えるお客様に来て頂きました。感謝しています。
取材で来られた新聞社の方がびっくりしていました。まったく県とか酒造組合経由の補助金無しで、もちろんそれ経由の人脈も無しで、これだけの人数が集まるのは「ちょっと“理解できない”」そうです。
反対に、県とか酒造組合経由だとこれだけの方にお集まりいただく自信は私にはありません。ある意味「民活」だけでやるからここまでたくさんの、さまざまな立場の、方にお出でいただけるような気がします。それと、今回特徴的だったのは、酒マニアと思われる方もいらっしゃいましたが、ごく普通のお客様の多かったことです。
参加していただいた女性から後で「有名人から市井の人までいらっしゃって盛会でしたね」というメールが来ました。確かに、テレビで良くお見かけするコメンテーターや評論家・ヨーロッパ以外に始めて出店して注目されてる超有名フレンチの社長・最近の金融経済ニュースに必ず登場する外資系投資顧問会社のトップなどお忙しい方たちにもお出でいただきました。皆様の友情というかご厚情に大変感謝しております。でも、もう一方の「市井の人」と表現された大多数を占めたお客様が半端じゃないんです。この方たちからすごいパワーを感じました。
どういうことかといいますと、よく酒販店の方も言われるんですが、ワインとか焼酎と違い、現在最もブームとかから遠いところにいる日本酒のそれも大メーカーじゃない地方の酒蔵の酒の会に来られる方って、何か一味違うんです。しかも今回、私の見るところ酒マニアといわれる方が少なくてごく普通のお客様が多かったから余計です。
おそらく自分に主体性が必要だからです。それなりに今“ナウ”かったり“ブーム”だったりするワインや焼酎のような商品ならただ情報に乗る感性さえあればいいわけです。しかし、「獺祭」だとそうは行きません。周囲を納得させる何かを持っていなければ、「何だ、そりゃ、日本酒の会? ダッサイシンシュノカイ? “ダサッ”」と周囲の人に切られて終わりになるわけです。
だから、これを乗り越えるためには、その人に社会的地位があるか、人格的な何かがあるか、とにかくオーラとまでは言いませんが納得させる何かが備わっていることが必要なんです。
そんな迫力ある3百数十人に囲まれての会でした。そんな皆様に「獺祭」が支えられていることを実感し、私自身も皆様からそのパワーを頂いた二時間だったような気がします。また、今回、杜氏の西田他数名の社員が参加したんですが、同じく感じるものがあったようです。この皆様から頂いたパワーをこれからの「獺祭」に込めてお返ししたいと思います。
皆様ありがとうございます。