旭酒造の麹担当のY君。学生時代に砲丸投げで鍛えた逆三角形の体躯と「悔しい」ことに持って生まれた美形で、酒蔵を訪れた女性たちをポーっとさせたり、名前を教えてとせがまれたり、私ら平凡な容貌の男からすれば「あぁ、アホらし・・・」と、まあそんな麹担当者です。その彼を東京で開かれた麹関係の酒造技術セミナーに参加させました。

モロミから麹に移動してまだ一年たってないんですが、進境著しく、その出してくる麹は目を見張るものがあります。「彼にさらに勉強してもらいたいんでセミナーに参加させたいんですけど」と杜氏の西田君からも進言され参加してもらいました。

で、彼のセミナーの参加報告の第一声は「ショックでした」というものでした。何がショックだったのか聞いてみると・・・・・

このセミナーは二日間のスクール形式で、講師は醗酵学の先生方の講義とベテラン杜氏さんの体験談で構成されています。醗酵理論の方は基礎ベースのないところの難しい理論は分からないのが当たり前ですし、反対に実地でやっているところに関しては体験しているところを理詰めで解析してくれるわけですからよく納得できたようです。ところが杜氏さんの体験談の方がカルチャーショックだったようです。

それはこうです。「昔のようなぎりぎりの厳しい麹造りを今はする必要がない。なぜなら、酵母がバイオの研究の進歩とともに進化して香りは酵母が出してくれるようになったから、麹が酵母の活動、つまりモロミをコントロールしきる必要がない」という説明です。

うーん。これ、正しいんですけど「一面の真実」なんですね。おそらく、杜氏さんの真意は別にあって言葉足らずだったんだろうと思います。

普通、年間に大吟醸は数本しか造りません。そうすると、香りのある吟醸を造ろうとするなら、麹をぎりぎりに突き詰めてすごい麹を狙うより適当なところで妥協して醗酵もあまり無茶苦茶はせず、杜氏の瞬間芸とでも言いますかそんなところで妥協した酒と、麹もモロミもギリギリまで追及した酒との間に、掛けた努力ほどの差が出ないんです。

しかし、年間数本ならいいですが、たとえば私どもなんかですと全部が純米で大吟醸です。それを年間に約二百本の仕込み。これを全部瞬間芸で行かそうとすると、そりゃ無理というものです。やっぱり、麹は麹、モロミはモロミで行くところまで突き詰めさせないと。その上で、人間は必ず失敗するもんだという立場に立って、それでも最高の酒を求める姿勢、これがなければ不可能です。

だけど、いいヒントもここにありました。つまり、麹は良い酒を造る手段だということです。ともすれば、入れ込み型が多い「麹屋」の世界では、最高の麹を造ることが目的になりやすく、そんな入れ込み型の担当者が良い麹担当者に見られがちです。また、本人も錯覚しがちです。しかし、そうではないんですね。仕上がった酒と切り離してどんな良い麹を造っても価値はありません。

Y君にとってはいろんな意味で考えることのいっぱいあった二日間のセミナーだったと思います。でも、セミナーの終わった後、夜の東京Cityに出撃して無事に帰れたんでしょうか?ま、山口に帰ってるんですから、何とかはなったんでしょうが・・・・・聞きたいような、聞きたくないような・・・・・