「村米」という言葉があります。兵庫の山田錦の産地が村ごとに特定の酒蔵と契約を結び、その村で栽培される山田錦は全てその酒蔵が引き受け、その代わり山田錦の品質に対する酒蔵からの要望を直接受け止めて改善していくというものです。

山田錦の産地を育てるために、灘の大手酒蔵が六甲山脈の裏側に当たる地域の村と始めたもので、この制度なくして今日の山田錦は生まれなかったと言えるぐらい、現在最高の酒米と呼ばれる山田錦を改良していく上に力を発揮しました。また、特A地区と称され、全国の酒蔵から「欲しくても手に入らない特Aの山田錦」として熱い視線を送られる現在のこの地域を最高の山田錦の産地として育て上げるのに寄与した制度です。

この伝統ある制度は現在も連綿として引き継がれ、「白鶴」や「剣菱」などそうそうたる酒蔵がメンバーに名を連ねています。ただ、ある程度は酒蔵も入れ替わりがあるようで現在では石川の名高い「菊姫」や7号酵母発祥の蔵として知られる長野の「真澄」など何蔵か有力な地酒蔵も入っていることが知られています。

実は、今回縁あって、旭酒造でも加東市の藤田地区と村米契約を結ぶことになりました。この藤田地区は農家数49戸、耕作面積が約60ha、山田錦の生産数量が約1800俵(60kg)というもので、いわゆる兵庫の特A地区と言われる最上級の山田錦の生産地です。

非常に、有難い話で、一つの村と四つに組んで山田錦を育てられるならこんなうれしい話はありません。しかも素晴しいのは、ここまで来るまでに藤田地区側でも「獺祭」を何度か購入して、「果たして藤田の山田錦の将来をかけるに相応しい酒質か」ゲートボールなどの村の行事でみんなが集まるときに試飲して、討議したそうです。

私どもも、「やるからには30年」の覚悟ですから、まず常務(31才)に先乗りの視察に行かせ(だって、私は57才ですから。年はとるもんじゃありません。トホホ・・)、藤田地区の関係者にも蔵においでいただき、今回やっと正式な契約にこぎつけました。

と、言うことで、晴れて、昨日生産者の皆さんがバスで酒蔵見学にこられ、夜は徳山近くの湯野温泉で私も招待されてみんなで「固めの席」を一席囲んだ次第です。(ちなみに久しぶりに綺麗どころのお姉さまたち?のいる宴会に出ました。いやぁ、良いなあ・・・・・)

しょうもないことを話していますが、実はびっくりしたのは栽培に対して技術的にものすごく革新的だということです。詳しいことは信義として公開できませんが、今までの山田錦の栽培常識をひっくり返すようなことをやっています。しかも、このリスキーなチャレンジを村全体でサポートする体制ができていること。

こんなところにも最高の酒米と呼ばれるまでに山田錦を育て、特A地区と呼ばれ続けてきた理由と、なにより栽培農家の「藤田の山田錦は素晴しいものでなければならない」という山田錦にかける誇りが見えます。ほんとにびっくりしました。

【杜氏の結婚】
旭酒造の取締役製造部長であり杜氏である西田君が結婚しました。驚いたのは、お相手の女性が現代的な美人であることだけでなく、は松山の出身であること。松山と言えば、正岡子規。正岡子規といえば「獺祭書屋主人」と号して執筆活動を続けたことで知られています。弊社の酒銘の「獺祭」は文学界の革命児と呼ばれたこの正岡子規にあやかって、「日本酒業界の革命児になりたい」とつけたものです。

なんとも縁の深いところから奥さんを貰ったもんです。何か、西田君がうちの杜氏になったこと。奥さんに松山出身の女性を選んだこと。ちょっと運命の不思議を感じています。

でも、もう、これで、「嫁の来ない旭酒造」なんて言わせないぞ!!!(注)・・・・・と、言いたいところですが・・・・・考えてみたら、うちの常務を始め結婚できてないのが10人。まだまだ戦いは続く。

(注)言われたんですよ。D酒造の社長に。「獺祭の弱点見つけたぞ。それは嫁の来ないこと!!!」