最近、獺祭の呼称を純米大吟醸に統一しました。以前は「二割三分」と「三割九分」が純米大吟醸、「45」と「50」が純米吟醸と二つの呼称に分けていましたが、一般の方からみたとき分かりづらく「何で獺祭は全部が精米歩合50%以下なのに純米大吟醸と純米吟醸なんだ?何か純米大吟醸と名乗れないような問題があるのか?」という問いを多く寄せられていました。
国税庁の表示基準では「精白60%以下(つまり40%を糠として削り取る)を純米吟醸、精白50%以下(50%が糠)を純米大吟醸とする」と決められています。旭酒造では、これより厳しい表示基準を自己規定していて、精白50%以下を純米吟醸・40%以下を純米大吟醸としていました。これを全て国税局の表示基準どおりの純米大吟醸としたものです。
この変更は、輸出のウェイトが増えるにしたがって重要になる海外での説明の容易化という面が一つの理由です。それとともに製造現場の甘えを無くすという事もあります。つまり、純米吟醸と表示される関係上、他社の基準どおりの(つまり実際は獺祭の「50」と同スペックの)純米大吟醸と比べて品質が劣っても「純米吟醸」だから仕方ないという言い訳の生まれることを心配したからです。
この変更に対する皆様の意見もさまざまで、「分かりやすくなった」という好意的なものも、「獺祭も前は自己に厳しい基準をつけていてその姿勢が気にいっていたのに、ついに販売数量を追いかける『売らんかな』の姿勢になった」という意見までさまざまでした。でも、実際の思いはこれと反対なんです。販売ということからすると逆風を心配しながらの決断でした。
つまり、蔵元のほうの情けない本音を暴露しますと、「従来、飲食店のメニューに純米吟醸と純米大吟醸の二種類の獺祭がそれぞれ載っていることもあるから、全て純米大吟醸になると一種類だけしか置いてもらえない事になって売り上げが半減するんじゃないか?」とか「雑誌の人気ランキングで投票がダブって不利になるんじゃないか?」とかあほらしくて人にはいえないような心配がありました。(特に後の懸念は情けないものですが、蔵元も「人の子」と笑ってください)
ところで、この話はこんな人気取りありきの情けない話だけでなくもっと本音の部分で違う側面があります。
それは旭酒造にとって、最も大事なのは「美味しい酒」しか造りたくないということです。したがって「純米大吟醸」であろうと「純米吟醸」であろうと何でもいいんです。そんな呼称より「旭酒造の門を出た酒」であること、「獺祭」というブランドであること、私達が何より「美味しい酒」を造りたいと考えていることが優先すると考えていました。
先日も酔っ払って「純米大吟醸だから素晴しいんじゃなくて美味しい酒を造りたい」「昔はアルコール添加した酒の製造が大部分だったし、アルコールを添加した大吟醸も造っていたけど、美味しさを求めた結果として純米大吟醸だけになった」「アルコール添加したほうが美味しい酒ができるなら明日から全てアル添酒に変える」なんて演説していました。(例によって、我慢して聞いてくださった同席の皆さん申し訳ありません)
つまり旭酒造にとって「純米」も「大吟醸」も手段であって目的ではないんです。
数年前には純米も何もそんなものは全てラベルから外してしまい磨きの数字だけを記載することも考えました。しかし、これは、全量純米酒を目指すことを目標とする蔵があるぐらい純米酒というものを大事にしている業界の現状を考えた時、あまりに挑戦的と思い取りやめた経緯があります。
だけど、本音は獺祭であることこそ何にも優先すると思っています。とにかくそんな酒を目指しています。