おかげさまで今回、フランス側の招待でシャモニーに行ったんですが、 ホテルは前出のアルベール・プルミエ。それも一泊2千ユーロ(2~30万円)は下りそうにないスイート。浴室だけでも日本のちょっとしたシティホテルよりでかいんですから。内装も素晴らしい。またフランス の良き時代の旅籠の雰囲気を濃厚に残した控えめなサービスもなんとも 心地よいものでした。(フランス脱帽)
昼のセミナーとランチは日本酒ですが夜は選り抜きのワインとディナーをご馳走になりました。ほんとにフランス側にここまでしてもらって、これでフランスへの日本酒の普及が成功するまで努力しなかったら、自分は、まあ言えば、「男じゃない」「お金ももちろん大事だけど義理とか人情とかもっと浪花節で行かなくっちゃ」と思った二日間でした。(大時代だなぁ・・・結局、学生時代の仁侠映画の辺りから成長してない)
とにかく出てくるワインがすごいんです。私はまったくワインがわから ないんですがそれでも凄いワインだということはわかりました。フランス在住の黒田さんも興奮気味。だってこの二晩のディナーの間にミシュラン二つ星のレストラン所蔵のワインで物足らなくてシェフソムリエのマルトレーさんの個人コレクションの中から4本も凄いのが出てきたん ですから!!!
最後の「ポートかな」と思ったデザート用のワインなんて、古いから良いと言うものではないんでしょうけど、1926年ですよ。
でも、そんなすごいワインの逸品ぞろいでしたが、どんなにすごいワイ ンでも刺身や寿司には合わないなぁというのが実感でした。日本でよく合わせている人がいるけどあれって飲み物と食物を合わせるという感覚が欠落してるのかマスクされているのか・・・・・不思議ですね。
もっとも、歴史的に言えばつい30年前まで酒と料理の相性なんて日本人は考えたことはないというのも真実ですから当たり前のことかもしれませんが。(でも、あれほどぴったり合ってる日本酒と日本料理の相性を捨てるってのはねぇ)
【シャモニーの後リヨン経由パリ】
シャモニーはパリから電車を使いますと乗換えが上手くいって10時間かかります。私たちはTGV(新幹線)でスイスのジュネーブに一旦入り、そこから4人だったので車をチャーターして入りました。
おかげさまで行きは順調でしたが、かえりはまずシャモニーで20分遅れ。(もちろん遅れが言い訳のつかないところに来るまで「大丈夫。追いつくから」と適当なことを言ってた駅員のおばちゃんの「私の責任ではなぁいっ!!!」と言うコメントつき)
結果、次の目的地であるリヨンへは急行電車はあきらめてバスに乗り換 えて入る羽目に。更に更に、リヨンの大学の寮で爆発騒ぎがあったとかで市外に入ったあとも一時間ぐらい街の中をぐるぐる。深夜11時半ぐらいに疲労困憊してホテルにたどり着きました。せっかくの三ツ星レストランであるポール・ボキューズ傘下の料理学校が経営するホテルでした が晩飯を食べる元気なし。
でも、リヨンはきれいな町ですね。満足に食べたのは翌日の朝飯だけでしたけど美味しかったし。
【フランス最終日パリ】
そんなこんなで最終日のパリ。テレビに出演してしまいました。(もとい、したかもしれません)オペラ座近くの獺祭を扱ってくれているISSEに寄ると、「これから、一つ星だけど、今フランスで最も注目されている料理人のキッチン・ギャラリーのルドゥイユさんが密着取材のテレビクルーを従えてこの店に来るから、獺祭を紹介するように」という御下命が黒田社長からありました。
そうこうする内にカメラマンとディレクターらしき女性二人を従えてルドゥイユさん登場。流暢なフランス語で日本酒など食材の説明をする黒田社長から紹介されて同じく流暢な日本語!?で獺祭の説明をする私はしっかりテレビカメラに写ったわけです。
でも、モデルが悪いから実際に放映されたかどうかはわかりません。しかし日本語の一生懸命の説明が功を奏してか(?)キッチン・ギャラリーで採用してもらえました。しかも合わせて三月か四月に獺祭と料理をあわすイベントを開催してやろうという願ってもない話。
その晩はそのお礼もかねてというよりもその話題のシェフの料理を食べたくてキッチン・ギャラリーに行きました。料理は「タイ料理のようなフレンチ」でした。食材とか味付けとかベトナムとかタイの料理のようですが、だけどフレンチの枠の中に納まっています。さすが!!
だけど、残念ながら6日間の美食三昧のつけがたまったおなかが拒否して三分の二ぐらいしか食べられませんでした。うーん、残念。再チャレンジを誓った最終日でした。