「酒文化」という月刊誌があります。酒文化研究所というシンクタンクが毎月発行している酒に関する月刊誌です。生産者にも販売者にも消費者にも、いわんや行政にも偏らずそれらを統合した切り口から社会と酒のかかわりをリポートしてくれるので毎月興味深く読んでいます。
(酒文化研究所 http://www.sakebunka.co.jp/outline/index.htm)
今回届いた5月号を見ていて目が点になりました。中に、「変わる山田錦の村米制度」と題して社長の狩野さんが寄稿しています。その中におそらく20年ぐらい前と思われる私の発言が載せられていたからです。
「うちは吟醸酒専門の蔵になろうと思っている。極端に言えば普通酒は続けていくのであれば、灘の蔵元から桶買いしたっていいと思う。そのほうが安くて美味しい酒が手に入る。蔵人も吟醸に専念したほうがよい吟醸酒が造れるようになる。途中で他の造りをさせるとかえってよい結果が出ない。最大の課題は山田錦をいかに調達するかなのだが、・・・・・後略」と、言っていたそうです。
危ない発言をしていたもんですね。もちろん覚えはあります。これと同じ意味の発言をあちこちで繰り返していましたから。
狩野さんの論考そのものは最高の酒米とその産地といわれる兵庫県の山田錦特A地区のこれまでの歩みとこれからの展望を書いてあるのです。その中に私の約20年前の発言も舞台回しの一つとして載っています。
ところで、この発言を呼んでお分かりのように今でこそ純米大吟醸しか造らない旭酒造も当時はまだ半分近くが普通酒で純米大吟醸は大勢力ではありましたが俗に言う純米酒もアルコール添加した大吟醸酒も造っていたころです。
その頃の私は普通酒を造る意義を見いだせなくて悩んでいました。良質な普通酒を造る為には一定のスケールメリットが必要。まぁ、5千石程度でしょうか(1.8リットル瓶で50万本)。もちろん、コストを度外視して良質な普通酒を造ることは小さい蔵でも不可能ではありません。しかし、それは従業員を低所得のままに置くとかしないと無理です。
うちがこんな中で無理して普通酒を造る事が本当に社会的に価値のあることなのか?その点、小規模な仕込みでないと高品質が保ちにくい大吟醸なら小さな酒蔵の現状を反対に強みに転換できる。いわゆる製造部門とは別に総務部門にかかる費用は小さいだけに削ることは可能。これなら無理せず高品質な吟醸酒をそれなりの価格でお客様に提供できる。
酒蔵といえども企業です。企業である限り社会に貢献しなければ存続する価値はない。酒蔵にとって社会貢献とはお客様が支払われる対価以上の幸せ(美味しさ)が提供できること。「ええかっこし」の経営者である私にとって毎年実質的に赤字決算のお神酒酒屋だった酒蔵を支え続けられたのはこの思いでした。
(どのぐらい赤だったかというと、所轄税務署の担当官には「足掻けば足掻くほど沈む泥沼」と揶揄されました・・・・・知り合いの企業会計の専門家たちからは「ロング倒産状態」と分析されました・・・・・・取引銀行も、もちろん、心配だったでしょうねぇ・・・・・・)
酒蔵は赤字だし、杜氏は手のかかる吟醸酒なんか造りたくないんですからなだめたりすかしたり、それでも何時の間にか「普通酒しか造らない蔵」から「純米大吟醸しか造らない旭酒造」に変わって来ました。酒米も「山田錦の調達できない蔵」から「全国の山田錦の30分の1強を調達する酒蔵」になりました。
でも、それらはすべてお客様に私が考えるお客様の幸せ(つまり「あぁ、美味しい」と言って貰う事)と酒蔵の現状をフィットさせることを模索した結果です。もし、旭酒造が5千石クラスの酒蔵だったとしたらきっと違う形の酒蔵になったんじゃないかと思います。