「昨日の獺祭」でお知らせしておりますように、先日、フレンチと獺祭を合わせる会を神保町学士会館のLATINで開催しました。ここの総料理長の大阪さんが獺祭に合うよう、正統派フレンチから獺祭の酒質側に大幅に歩み寄って献立を吟味してくれたからこそ出来た試みです。

最近、日本酒とフレンチを合わす会をいろいろなところでやっていますが、どうもメインディッシュと日本酒を合わすのに苦労した形跡を感じます。血の匂いのするようなウサギの料理や内臓系の料理と日本酒を合わそうとすると簡単には合わないように感じています。

何度か、フレンチと日本酒を合わす会に出たんですが、メインディッシュにはたいてい古酒とか精米歩合の黒い酒とか少し口の中で違和感のある酒を持ってきて合わそうとします。そうすると面白いなぁとは思いますが、他でもその酒を飲みたいとお客様は思うでしょうか。つまりマリアージュの面白さは生まれますが,日本酒の本来持つ魅力とは別のところに行ってしまうように感じます。

ところで、話を変えて、私たちの父の時代の日本酒の飲み方ってどういうものだったでしょう。当時の飲酒シーンの中でフォーマルな例から、宴席を想像してください。お父さん達はお膳に並んだ焼き物などには手をつけず、酢の物と刺身で日本酒を飲み、適当に飲んだところで焼き物とかお寿司などは最後まで手を着けずにオリに入れて持って帰りましたね。

当時のまだまだ貧しかった日本の社会では家で待っている留守番の家族にとって、お父さんの持って帰るオリはご馳走でした。私だけでなく、お父さんの帰りよりも持って帰ってくれるオリの方を首を長くして待った記憶のある方も多いと思います。

カジュアルな例としてそれでは毎晩の晩酌はどうだったでしょう。みんなで囲んだ食卓でお父さんだけ別についたチシャなます(注)のような一品で酒を飲み、飲み終わると杯を伏せ、みんなと一緒に食事をしていましたね。

もうひとつ、例として、職人さんの夕方の一杯。三時ごろから今晩の酒に備えて、お茶などの水ものを控えた職人さんたちは、仕事が終わると行きつけの角の居酒屋に一直線。あぶったたたみいわしかなんか軽いつまみで2~3杯、キュッとひっかけると席を立つ。そんないなせな飲み方だったでしょ。

昔から日本人は「日本酒は食事と合わせて」といっても、軽いつまみか前菜からお刺身までのところで合わせていたといえます。つまり食事の最後まで合わせて飲んでいたのではありません。

こういう飲まれ方の中で品質が形成されてきた日本酒をフレンチのメインディッシュに合わせようとすると非常に難しい。もちろん合う酒もあります。しかし、それは獺祭のように日本酒の本来の美味しさを追っかけようとする酒でなく、もう少し違うような気がします。

決して、そういう酒を否定するものではありません。しかし、最近よく一部にみられるように、飲みやすい酒は底の浅い酒として純米大吟醸を否定し「飲みにくい酒こそ本物の酒」のように言われる方がいます。これは行き過ぎると、日本酒の様々な個性の中で特定のものにだけフォーカスされ、結果として酒の本質がずれてしまうような危険を感じます。

ワインだって、本当にフランスの超特級シャトーの酒って飲みづらいですか?本当に美味しいワインって、おそらく普通に飲めば「まず、飲みやすい、でも、よく味わえば深みが見える」というスタイルじゃないですか?ロバート・パーカーが100点をつけた酒だけが良いワインとはフランス人は思ってないと思いますよ。

(注)チシャなます;山口県の伝統的な庶民の郷土料理です。新鮮なチシャを家の前の畑!!からつまんできて、それにすり鉢で細かく砕いた煮干しと酢味噌を合わせたものをかける。美味しいですよ。