ちょっと時間が経過しておりますが今年の6/12にパリソルボンヌ大学の地政学教室で日本酒の講義をしてきました。フランスでの日本酒のお話は過去フェランディ校やコルドンブルーでさせていただいておりますが、今回は時間も二時間とたっぷり頂きました。
と、いう事で、通訳の困るのも無視して、日頃日本酒に対して思っている事をきちんとフランス人たちの前で話したいと思い、かなり個人的偏見も含めて話してきました。まず、「日本酒とは何か」「どこが特徴的か」という事から話し始めて行きました。
以下がその内容の骨子です。
(ここから始まります)
日本酒は米と水から造りますが、何より特徴的なのは、製造工程がものすごく複雑という事です。
複雑でしかも矛盾に満ちている。それはまるで人生のよう。
酒造りにとって麹は重要な意味を持ちますが、その大事な働きをする麹とはカビの一種ですから、湿度が必要です。なのに、如何に乾燥させるかが大事になります。麹はカビの一種ですから、高温多湿の環境が麹菌の繁殖の条件になりますが、ハゼ込みの良い優れた麹を造るためには乾燥が必要なのです。
それも、時間と共に必要性が変化します。麹育成の前半には適度の水分が必要で、後半には、その水分は米から取り去られ、非常に乾燥した状態でなければなりません。
また、実際に醗酵中の液体を「もろみ」と称しますが、そのもろみについても、酵母の活動が必要なのに活動を抑えなければいけない。酵母は生き物ですから温度が必要ですが、酵母に快適な環境を造ると酒が粗くなるので、低温化に置く事が必要になります。
その発酵温度は、4℃から12℃の低温で推移させなければいけません。例えばワインは15℃から32℃、ビールなども15℃から20℃ぐらいなのと比べると極端な低温発酵です。しかもその日々の温度経過は4℃台から始まり大体15日目に12℃程度まで上がり後半は6℃まで下がる、しかもその毎日の温度経過は当日目標の温度に対し0.1度の温度差を問われる微妙な温度制御が必要になります。
結果として、この極端な低温の醗酵経過は、酵母にストレスをかけ続けることになり、酵母が異常代謝をおこし、米と水だけが原料にもかかわらず、まるでフルーツのような香りを日本酒は持つわけです。
見ていると、まるで、両親や周囲の濃密な愛情と保護のもとに幼児時代を過ごし、学校や社会経験の学習がある少年時代があり、さらなる学習があり恋愛があり、そんな青春時代と共に人生の前半を過ごした後、経験知識を利用した仕事などへの就業があり結婚があり、最後はただ思い出だけが残る、でもそれなりに過酷だった人生は香り高い思い出を残す。そんな人生みたいだと思いませんか。酒造りとはまるで人生のよう。
しかも、そのタンクの中では麹によるでんぷんの糖化作用とアルコール発酵が同時進行しています。
では具体的に、日本酒の特徴を見ていきましょう。
日本酒は米と水を原料とします。
米を単純に丸ごと使用するのではなく、精米して使用します。それも日本の平均でも70%、旭酒造の平均では残存して使用できる部分が、41%まで米の外郭部分を取り除きます。代表的な商品である獺祭磨き二割三分などはその言葉通り23%まで磨かれます。つまり外側の77%は取り除かれるわけです。ワインやビール、また紹興酒などと比べても非常に特殊な原料利用方法といえます。しかもそこまで磨くために強い圧力をかけると米が砕けてしまうため、低い圧力でゆっくりと精米する必要があります。結果として昼夜分かたず精米作業が約70時間は続きます。
また、アルコール発酵はブドウ糖を酵母の作用でアルコールと炭酸ガスに分解する事により起こりますから、米を原料とする日本酒の場合は麹の力によって米の澱粉をブドウ糖に変えてやらなければいけません。
その麹はいわゆる一粒一粒がバラバラになったバラ麹です。麹はアジア全域で使われますが、他の国では塊になった餅麹です。餅麹を造るのとバラ麹を造るのと労力的な差は非常に大きいのです。弊社の場合ですと、一人の人間が一日にせいぜい5~60kgしか造れません。
また醗酵は極端な低温発酵です。ワインやビールなどの他の種類が通常20度程度の発酵温度に対し、最高でも12℃以下、醗酵のスタートは4℃台とほとんどの細菌なども活動できない極端に低温です。また、極端に低温で発酵させるが故に、常に酵母が衰弱してしまうか死滅してしまう恐れの中で醗酵は推移されます。したがって、その日その日の目標温度を守る事は絶対的に必要な条件になります。
しかも、その温度経過は毎回同一ではなく、糖化もまた温度だけでない様々な要因のもと進み具合は変化しますから、それと調和させながら醗酵を調整する必要があり、そのために毎日の必要温度帯は微妙に上下します。このような神経を使う糖化・発酵管理が30日以上続きます。
そのような糖化・発酵管理のもとで、低温と栄養不足そしてもろみ液体中の酵母数の過多状況の中で常に生存が難しい条件にさらされ続けた、しかし、非常に活発で元気の良い酵母たちは、生き残っていくため異常代謝をおこし、あの芳しい吟醸酒独特の香りを造りだすのです。
このような醗酵形式を「並行複発酵」と称します。対してワインは原料そのものがブドウですから元からブドウ糖であり、ただ発酵させればいいだけの作業になります。
また、ビールについていえば原料は麦でブドウ糖は持っていませんから、まず糖化だけを麦芽の力で行い、その後、発酵だけを行うという、糖化と発酵が切り離された醗酵形態をとります。そのため、非常に安定した発酵管理が可能です。
こうやって見ますと、西洋文明のもとで出来上がったワインとビールという代表的酒類は、自然のままか、それとも人間の力により自然をねじ伏せてしまうか、まるで西洋的な自然とのかかわり方のように製法が出来上がっているように感じます。
翻って、日本酒を見ると、甚だ中途半端であり、自然のままでもなく、だからといって、ビールのように自然を抑え込もうという意志も感じません。
実はこの日本酒の製法は日本人由来の特質に影響されていると考えております。まず一つは、皆さんもお分かりのように日本という国の自然は穏やかで水も豊富であり、諸外国などと比べて人間と敵対するような厳しさを持っておりません。ゆえに自然を制圧するという考え方は生まれず、自然と共生する道を選んで来ました。その事が一つ。
それから日本の社会は比較的フラットな社会で、あまり階層差の存在する社会ではありませんでした。つまり、エリートと搾取される民衆という階層差が比較的少ない歴史を持っております。
故に酒の製造においても、酒造りの職人にすぎない杜氏達が、ただ言われたままに酒造りの労働に従事するのではなく、自分たちが造る酒の出来上がりに責任を感じ、自分たちが工夫する事により、酒を改良してきました。これが二つ目。
そんな民族的状況と歴史を持つが故に、日本酒は根本的なところでは自然のままに、しかし細部においては洗練を繰り返してきたわけです。つまり日本酒の製法は日本人の弱点と美点と両方兼ね備えているわけです。
つまり、米と水から生まれた酒であるのにまるで果物から生まれたような芳香あふれ、非常に滑らかで洗練された味わいを持つ純米大吟醸酒の特徴は、そんな日本酒の頂点として生まれたが故と考えます。
最後に、質問の多い熟成ですが、熟成は早いのが日本酒の特徴です。これは、原料段階で精米する事により良いところだけを取り出して酒にする事により、熟成と同じ事がその段階で行われているからと考えられます。
ただ、それでもいくらかは熟成が必要であり、それは酒によって様々ですが、それでもワインなどと比べると早い。
これは、牛肉が数週間の冷蔵熟成が必要なのに対し、フグがさばかれてから7~8時間という事からも、必要であるが、ものにより全く違うという事が理解できると思います。
以上が、原稿でした。びっくりされたと思うんですが、相当難しい内容でしょ。この話の簡略版を早稲田大学国際コミュニティセンターの先日のトークセッションで話させていただいたら、(あくまで弊社営業Sの感想ですが)、「ちょっと、難しかったのではないでしょうか」と感想を述べていました。
反対に、この程度の内容しか理解できないだろうと簡単にするのは、それでなくとも理屈っぽいフランス人に対して、失礼にあたると思い、日頃考えている事をはっきりと説明させていただきました。最後に出席者からはスタンディング・オベーションを頂いて、不慣れなこちらとしては、ただただ、照れるのみという一幕もありました。