前回の続きでパリから帰って山口で一泊した後そのままニューヨークにやってきました。目的は、NHKのニュースでご覧になった方も多いかもしれませんが、全米最大の料理学校であるカリナリー・インスティテュード・オブ・アメリカ(通称CIA)と、ニューヨーク郊外ハイドパークでの酒蔵建設について、共同記者会見を行う事。開かれた発表会は100人を超す州政府関係者や料理関係者、そしてマスコミの皆様に集まっていただき華やかなモノになりました。まるで映画の中の1シーンの様。

ところで、これより5時間ほど前、実質的にはより重要なミーティングが別の場所で行われたんです。場所はハイドパーク市の市庁舎のミーティングルームで行われたもので、ハイドパークのボードメンバー(日本にはない組織ですが、地元住民たちによる景観管理委員会)への説明会です。

このミーティングの結果次第で、ハイドパークの酒蔵建設が計画通り許可されるかどうか決るのです。委員会は地元に新しい産業が生まれるわけですから、基本的に歓迎ムードではあるのですが、地域の景観に配慮するというかハドソン川沿いの美しさを守るという事に対する意識や規制、そして自分たちがそれを守るという自治意識は日本で想像するよりはるかに強いのです。ですからそれなりに手強いというか大事に説明しなければいけない相手です。

その意味ではこの委員会における、当方の私と社長のスピーチは大きな意味を持っています。委員会のメンバーに約15分程度、通訳も話しますから、実質的には7~8分で我々の意図を話し納得してもらわなければならないのです。

会長の私から「旭酒造の歴史」そして「旭酒造とは何か」を話し、続いて社長から「今回の経緯」「思い」を話そうという分担になりました。社長との打ち合わせで「ここが大事」と一致したのは「我々はこのハイドパークで何をしようとしているのか。それは地域の発展や維持にとって有益なのか。よき地域市民として発展に寄与することができるのか。その意思があるのか」という事をきちんと話そうという事です。

アメリカは、規制は日本よりはるかに厳しいのですが、我々がやろうとしていることを理解さえしてもらえればはるかに寛容に認めてくれます。というか、理屈に合ってないけど規制がかかっているからダメ、ということは日本と比べると少なそうです。

委員会とのミーティングそのものはスーパーバイザーであるアイリーンさん手作りのカップケーキなども準備されていてアットホームな雰囲気で始まり、こちらの意図も十分説明できて成功といえる会でした。途中から、緊張してよそよそしかったメンバーの表情も変わり、和やかで友好的な会になりました。

実は成功した理由は一つ思い当ります。それはアイリーンさんが美人だったこと。私は美人に弱いものですから、まずこちらに好意的スイッチが入ります。あちらもそれにつられて友好的ムード。「私は女性に弱いんです」と日頃よく話してますが、それが役に立った?会でした。

さて、その5時間後の午後4時から始まったCIAとの共同記者会見。場所はCIAのパーティールーム。演台の両脇にはアメリカ国旗と日本国旗が飾られ、そこで赤いネクタイのトランプ大統領がスピーチしたら似合うようなしつらえ。華やかにデコレーションしてありました。

出席者もニューヨーク州政府のお偉方はじめ錚々たるメンバー。マスコミも現地はじめ日本のテレビ局も数社。席の後ろにはテレビカメラがずらっと並んで、演台からの眺めも、こちらが偉い人になったよう。

ニューヨーク州政府やハイドパークの要人たち(美人のアイリーンさん!!他)、そしてCIAの学長が長い!!スピーチをして、それから私たちの発表になります。

内容は午前中の話と同じ話をしたわけですが、何か、最初に皆を笑顔にする話題がほしい。午前中のボードメンバー対象のミーティングでは禁断の「私、日本語と山口弁しかできません」ネタで笑いを取ったんですが、さすがにあれをもう一度やるのは調子が悪い。

悩んでたら、先に話される皆さんのスピーチが「酒」に対して好意的。酒蔵建設の記者会見ですから当たり前と言えば当たり前ですが。というよりも皆さんアルコールはお好きそう。これを利用させてもらうことにしました。来賓席を見ながら「私は今、大いに安心しています。この度、建設する酒蔵の製品の大消費者になりそうなお客様を何人も見つけました。これは酒蔵の将来の見通しにとって心強い味方です」と、スピーチの冒頭で話したら、会場大笑い。

皆さん、一旦笑顔になって聞いてくれ始めましたら好意的スイッチが入ってポジティブな話として聞き始めてくれます。そしてもう一つ引っ張る話を入れておきました。アメリカはそろそろ建国250年になろうとしています。私どもの酒蔵も私の家族ではないのですが、山口で250年前から酒を造っています。その酒蔵の経営を120年前に祖父が引き継いで今に至る経緯があります。アメリカは若い国ですからそれゆえに酒蔵の長い歴史に対して敬意を抱いてくれます。

そんな話の流れの中で社長を旭酒造の四代目として紹介し、私たちの酒蔵事業が完全なファミリービジネスであることを強調しました。(海外において、特にブランドビジネスの場合、家族がかかわっていることはプラスとして評価されやすいのです)

その後の、設計をお願いしている光井先生(羽田空港の国際線やコカコーラの日本本社の設計者)とアメリカ側パートナーのフレッドさんによる、縁側をという考え方を取り入れた建築デザインと、桜を植えて花見という日本の象徴的な人々の触れ合いの場を造ろうという敷地の全体景観構成の説明も、皆その美しさとスケール感に「ほーっ」。そんなことで何とか成功裏に終わりました。

でもこれからが大変です。資金計画も、旭酒造の全売り上げの半分とは言いませんが、三割以上はかかると思われる大事業です。大事な皆様から頂いた売り上げから拠出させていただく資金です。必ずや日本にとってもアメリカにとっても意味のあるものに造り上げていかなければいけないのです。これはパリの「ダッサイ・バイ・ジュエルロブション」も一緒だと思います。自分たちの都合や利益だけでなく、そのことを通してその地域や都市に対して何をできるのか。

山口の山奥の小さな酒蔵が始めた、一大世界事業。厳しく優しく、よろしくお願いします。