今回の集中豪雨で、獺祭もかなりの被害を受けたことはご存知の方が多いと思います。近所の89歳の男性が土砂崩れで犠牲になり、旭酒造も床上浸水を起こしてしまいました。土砂崩れが起こした停電と、この浸水が起こした地下の排水処理システムのストップが、酒蔵の機能を完全に止めてしまったのです。

私どもの酒蔵はご存じのように中国山地の山奥の谷間に立地し、その弱点が出たと言えます。常識的かつ金銭的損得から見れば平野部の工業団地にでも出て新しい酒蔵を建てるのが正しい選択だったのでしょうが、「山口の山奥の過疎の集落」にあり続けることを選択しました。周囲は国や県の支援をどうやって受けるかに汲々としている中で、単独一人でこの山の中から東京や世界に出ていくことは個人的には本当に痛快な事でした。しかし、その選択のツケが回ったと言えそうな今回の被災です。

災害対策は徹底的にやってきたつもりです。しかし、はるか遠くの山崩れが足元の川ともいえない幅1m弱の小川になだれ込んでくるとは予想できませんでした。

明るくなって、最初に酒蔵の屋上から惨状を見たときは言葉もありませんでした。しかし、何よりこの時点で気になったのが電気の供給です。電気が通ってなければ、醗酵中の醪の温度管理ができない、搾れない、また、搾った酒は生酒ですから冷却していなければどんどん悪くなります。製造部門は二階以上ですから無傷ではありますが、ここも電気がなければ仕込みを続けることはできません。もう、この時点で今後の酒の仕込みはあきらめていましたが、今、残っている生き残りの可能性のためにも一刻も早い電気が必要なのです。

しかし、電力会社の返事は、「数か月かかるのでは」と、無情なもの。すぐに、自家発電装置の移設と借入の準備を始めました。かかる経費に渋る建設会社の所長には「彼らの決定を待っているわけにはいかない。酒は刻々と悪くなっている。とにかくやってよ!!」それと同時に「一か月以上も復旧にかかるようなら、どんなにコスト高になっても別の電力会社に変える!!」(今は電力自由化になっていますので、可能ですね。本当にそのつもりでした。もっとも、三日で復旧していただけましたので前言撤回しました。失礼な発言反省しております)

翌々日の月曜からは製造スタッフ全員120名を出勤させて、浸水してしまった一階部分の事務所や資材置き場の後片付けと洗浄を開始しました。マスコミの方から「これはボランティアの方ですか?」と聞かれて、「いえ、うちの製造スタッフです」と答えたら、余りの人数の多さに絶句してましたけど。とにかく、人海戦術が功を奏して、翌日は隣の同じく被害を受けた周北小学校にお手伝いを派遣できるところまでいきました。もっとも、慣れぬ炎天下の仕事に小学校派遣組は気分が悪くなる者続出で、「まったく、今の若い連中は鍛えようが足りん!!」とお年寄りからは言われそうな状態で苦笑い。「君ら、これが本業じゃないんだから、さぼり、さぼりやれよ」と一言。

前述のように、月曜の夕方には電気も来て、一気に立て直しの展望が見えてきました。もっとも、発酵室に入って150本の発酵中のもろみを調べると、最大3℃の温度上昇をしているもろみもあり、「やっぱりこれはまともな獺祭にはならないな」と、想像はしてたのですが、改めてがっくり。とはいえ、「じゃあ、これをどう救済していこうか?」と考えは廻り始めました。とにかく、こんな時の蔵元はがっくりし続けている余裕はないんですね。

また、色んな方から電話やメールで色んな励ましもいただきました。ありがたいと同時にほとんどご返事も差し上げなかったことをお許し下さい。

そんな中で厳しいご指摘もいただきました。「そもそも、電力に頼った旭酒造の製造システムそのものが引き起こした問題じゃないの? 杜氏を使った酒造りを続けていればこんなこと起こらなかったのでは?」記者会見の席上で記者の方から厳しい質問をうけました。こういう質問に真っ向から応えるのがうちの美点なのか欠点なのかわかりませんが、「それは杜氏が造っていた時代の旭酒造の酒のレベルで良いんだったら、いくらでも現状出来ますよ。でも、それでは、私どもは『獺祭』と認められません」と答えてしまいました。「ちょっとまずかったかな」とは思ったんですが、言っちゃったものは仕方がない。

それと、今回、マスコミの取材を受けて思ったんですが、必ず聞かれる質問があります。「今の心境は?」「さぞかし無念に思っていられるでしょうが、感想は?」。つまり皆さん『酒蔵の惨状を前に蔵元はがっくりと肩を落とした』的なコメントを期待しているんですね。

これが申し訳ないことに全くがっくりしていないわけです。先ほども言いましたが、経営者ってこういう時、がっくりする余裕なんかありませんから、全体の状況を何とかつかんで有効なリカバリーの一手を打ちたい一心なんですよね。だからご期待に添えない取材対象その一なんですよ。

でも、悔やんでも悔やみきれない出来事があります。私たちはここ数年、震災の支援などで数千万円の金額を被害者やそのご家族などに毎年寄付してきました。それで社会に対して責任を果たしていると思い上がっていました。しかし、近所の方お一人の命さえお助けすることができなかったのです。会社の防災のシステムそのものを近隣の防災対策と含めて考え直さなければ、亡くなられた方にも申し訳ないと思っております。