あけましておめでとうございます。
昨年は(例によって昨年も?!)、いろいろな出来事のあった一年でした。6月には念願のパリ店をロブションさんと組んでオープンし、7月の集中豪雨で旭酒造自身が被災し、8月にはパリ店のパートナーであるロブションさんが亡くなり、そして10月には20年にわたって色々ご指導いただいた勝谷誠彦さんが亡くなりました。

パリの直営レストランであるダッサイ・ジョエル・ロブションについては、40年前の銀座の鮨屋で日本酒に対抗してワインを売ろうとするのと同じようなものですから、当然、一筋縄ではいきません。秋口には何とかワインをひっくり返して獺祭の注文が7割を占めるところまで行ったんですが、例の「黄色のベストデモ」の影響で客数減が押し寄せ、こういう逆風下になるとワインはそれほど落ち込みませんが、獺祭はもろに影響を受けて注文減。厳しいところですね。もっとも、こんな苦戦は予想したうえでの出店ですから、当たり前ですけど。

それに関連していえば、きっと自分の人生の短さは分かっていたはずのロブションさんの世界を股にかけての仕事ぶり。そして、最後の人生をかけての私どもに対する協力。すごい生き様を見せられたように思います。

そして集中豪雨の被害とその復旧。被害額そのものは最終的に15億円程度に上ったのですが、弘兼先生のご助力もあり、「獺祭 島耕作」の発売。総額で1憶1千6百万円を被災地4県にお届けすることができました。よく、「自身が被災したにもかかわらず被災地に支援した」と、美談に語られますが、あれは違って、ああする事によって私たち自身が救われ
たのです。黙って何本も何箱も買ってくださった、飲んでくださった、皆様のおかげと感謝しております。

最後に勝谷誠彦さんの死。ショックでしたね。決して勝谷さんを好きな人ばかりではなかったけど、正しいことは正しい、おかしいことはおかしい、と歯に衣着せず言う人でした。獺祭の会などで、勝谷さんに挨拶してもらうと、「なんであんな人に喋らせるんだ」と後から匿名の文句が来たこともあります。それでも勝谷さんがいれば私は何か喋って欲しかったんです。

その勝谷さんの死、しかもアルコールによる内臓障害。酒を造るものとしてこんなにつらいことはない。数年前の勝谷さんのメルマガの中に灘中の同級生たちと年に一度のソフトボールをするくだりがありまして、(同級生たちがみんな日本を支えるエリートになっているわけですが)みんなの体の動きに「今の日本のエリートたちはセルフコントロールができているから、日頃から体調管理に気を配り、急な運動にもへたばる者はいない」「さすが我が灘中の同級生」なんて書いています。「あんた、なに言ってんの」「自分はどうよ」「酒ぐらいコントロールしろよ」とパソコンを投げたくなりました。

もうこれ以上酒でなくなる人を見たくない。

私どもが純米大吟醸しか造らないことを指して、「自分たちのような貧乏人?には飲めない」「獺祭は庶民?を無視するのか」と、責められることがあります。

でも酒を楽しむのに、私はハードルがあるべきと考えています。それは「美味しい酒しか飲まない」だったり「酒を楽しむシーンを選ぶ」だったり、「酒器との相性」だったり、どれも酒を飲むことに対して何らかのハードルを造るものです。

「酒なんてそんな難しいことを言わずただ飲めりゃ良いんだ」と、ずいぶん言われました。でも、違う。これからも「ちょっとでも美味しい」、そしてその裏に「これはせっかくの獺祭だから」「自分たちの心も体もそして人生も素晴らしくなければ勿体無い」

そんなメッセージをお客様に送り届けられる獺祭を目指します。より、突き詰めた獺祭を目指します。