先日のNHKの「逆転人生」、見て頂いた方もいらっしゃるかと思います。本人の感想としては「とてもあんなにかっこいいものじゃなかったし、苦しい中、遠い理想の姿を追いかけて努力した、というほど立派なものじゃなかった」「NHKはうちを持ち上げすぎ」というものですが・・・。何せ、褒めてもらうのはうれしいので、何となく気持ちよく自分自身も視聴しました。(馬鹿だねぇ!)
でも、本当のところはこんなことです。すごい努力をしたり、耐えがたきを耐え、忍び難きを忍んだんじゃなしに…、興味がある事だけ追っかけてきた、というのが本音のところです。つまり、私の最大の興味は美味しい酒ですから、そのためには何でもやったというだけのことです。
例えば遠心分離機。獺祭ではこの機械を酒の搾りに使っていますが、大吟醸の画期的な上槽システムとして発表された途端に、欲しくて、欲しくて・・・。その頃、地ビールレストランの失敗から、社員による酒造りに移行してまだ間もない、とても完全に立ち直ったとは言えない状況なのに、このフェラーリ一台分の価格の遠心分離機を翌年には購入してしまいました。
獺祭は、「山田錦を使った純米大吟醸しか造らない」のですが、これだって、要は、「美味しい酒にしか興味がない」からです。「美味しいと思わないけど売上のために造る酒」は造る気にならないんです。
よく、「獺祭はテクノロジーで酒を造っている」「データ化して酒を造る」といわれます。良い意味でも言われますし(注)、「データとテクノロジーで適当に大量生産している!に違いない」「杜氏さんを使わない酒造り!なんて、真心!?がない酒造り!に違いない」と悪口にも使われます。しかし、本当は、「良い酒を造るためにはデータでもテクノロジーでも人工知能でも何でも使う」「現在の雇用状況で杜氏より若い社員の方が良い酒を造るうえで、優れていると思えば杜氏制度にもこだわらない」という事なんですね。
酒米も一緒ですね。「とにかく良い酒が造りたい」「色々な米を使ってみた経験から言えば山田錦で造った酒が一番」だから、山田錦オンリーの酒蔵になりました。そして、「少しでも良い山田錦が欲しい」という思いから今回の山田錦のコンテストは走り始めました。「賢い人たち」や「業界の玄人」はこんなことはやらないかもしれないですね。
30年ぐらい前、旭酒造にも杜氏がいましたが、よく彼から言われました。「なんで、社長はそんなに焦るんな? 普通、酒蔵の社長はもっと「ドーン」としてるのに」・・・と。彼がそれまで接してきた酒蔵の社長像と比べて異様だったんでしょうね。そりゃそうですよね。普通の酒を地道に(真面目に)作っておけばいいのに、「純米大吟醸に血道をあげる」「山田錦を追っかける」。当時のまともな酒蔵の常識的経営じゃなかったですからね。
でも、楽しかったんですよ。興味があることを追っかけるほど楽しいことはありません。しかもこの興味の尽きない美味しい酒を追究することに、売上もついてきたわけです。きれいごとだけじゃなかったわけですね。これが、一般には、逆境に耐え、忍び難きを忍び、耐えがたきを耐え努力した、と捉えられる事の多い私の本音なんですよ。
自分は永遠のアマチュア。だから、うまくいかない事や出来ていない事ばかり。最近でも、酒の糖化と発酵のバランスコントロールで問題が発見されて、発酵管理の考え方と組織配置を社内で相談してちょっと変えるよう提案しました。製造部(特に製造部長)からすればかなりのストレスでもありました。しかし、変えなければいけないことは変えなければいけないんで、社長にも相談し、変更したわけです。
これからもよろしくお願いします。
★罰当たりな三代目
ある人から。昔の「旭富士」時代のパッケージがないか、と依頼されて探していたら、父の時代に宣伝用に使っていた、特級酒と一級酒の写真が印刷されたマッチが出てきました。「品質を誇る天下の絶品」とキャッチコピーが…。
こんなコピーをあの頃のうちの酒に書く度胸は私にはないですね。と、いう事は、「親に対してよく言うよ」ですね。やっぱり私は罰当たり。
(注) 良い意味で取り上げて頂いた例です。最近読んだ本で、茂木健一郎さんの「度忘れをチャンスに変える・思い出す力」です。「自分をモデルチェンジする」という章があります。「現代は第二のルネッサンス」だそうです。
この中に獺祭のことが出てきます。獺祭は「専門的知識を養った人間でなければ酒の醸造はできないという常識を破った」そうです。獺祭に限らず、次々と今までには考えられなかった、分野をまたいだ試みが始まっている・・・そうです。