前回の続きです。
製造数量を確保するという美名のもとに何が起こったか?を告白します。

まず起こっていたのは、出来の悪さを小手先でごまかすことです。同じ山田錦といえども毎年の性質は産地の気象条件等により変化します。当然、吸水も変えなくちゃいけませんし、もろみの経過も変えなければいけません。

まず、第一に米が変わった時点で今から使う米の特性を理解するために成分分析は必須の条件です。栽培地の気象経緯も情報を集めなければいけません。全くしていなかったというと製造部が可哀想ですが、忙しくなるとそれは実際の仕込みに間に合わず、仕込みが始まってから分析結果が出てくることがありました。

それでできないことはありませんが、実際に仕込みが始まってから予想と違う米の溶け具合に右往左往することもありました。そのあたり、忙しさと山田錦単一という事に甘えて抜かっていたのです。

しかも悪いことに、経験だけは豊富ですから、何とかごまかして仕上げてしまう。そうすると、プロから見たとき,あまり良くもないけど欠点有りとは言い切れない酒になるのです。「プロが見て悪くなければいいだろう」とお思いでしょうが、これが違うんです。

プロが見たとき、「この程度だろう」と思っても、素人のお客様は欠点に気付きます。どういう事かというと、どうしてもプロは日本酒全体の評価基準で純米大吟醸を見ますから、点が甘くなります。ところが、お客さんというのはお金を払っている。対して、プロはお金をもらっている。どちらに評価基準の厳しさの軍配が上がると思います? 

しかも、素人のはずのお客さんは数万人に飲んで頂いていますね。そうすると、中には官能能力において、圧倒的な能力を持っている人がいます。こういった人は百人に一人ぐらいはいそうですね。しかも、この人は周囲からは何となくこの人はわかると感じられている。だからこんな人に「この酒たいしたことない」と気が付かれるとお客様みんなに広がるわけです。私どもから見たら、物言わぬ普通のお客様ぐらい怖いお客様はいないんです。

だから、その普通のお客様を納得させる獺祭が造りにくい状況になっていた。

しかも、この余裕のない日程を言い訳に、新しい技法に挑戦しない、昨日と同じやり方で同じ作業を淡々とこなすことが良いことになっていました。麹も、もろみ管理も。

伝統的でいいだろうという事になりそうですが、、、(やっと獺祭も伝統に目覚めた?)

こんなことで良いわけ無い!!!じゃないですか。

獺祭は素人集団だけど、良いと思うことは積極的にどんどんやる。そこにこそ獺祭の強みがある、はずなのに・・・、何もしない。こりゃ獺祭じゃないですね。

「こんなの獺祭ではない」

この言葉を最近は年中酒蔵の中で唱えていて、皆にうんざりされています。でも、真意は分かってくれているようです。

最後に、「これから三年以内に、他の蔵に行っても杜氏として通用する社員を5人育成する」と社内で話しています。今までがおかしかったので、製造スタッフが百数十人いるのに「麹の担当者としては優秀」とか、「もろみの担当者としては優秀」、みたいな人間しかいなかったのはおかしい。

という事で、当面、製造部長の下に二つのチームができてこの二つのチームは良い意味で競争関係にあります。この中で、適せんにリーダーが入れ替わりながら獺祭の酒造りを追求していくというかたちになります。

もう一度、獺祭は生まれ変わって行きます。見てやってください。

最後の最後にもう一つ、今まで私たちの思う基準に達していないものが製品化前の(製品化後でも)テイスティングで発覚した場合、そのまま出すことはしませんが、ランク落ちさせる、という方式でやってきました。それでは一番下位の純米大吟醸45についてはどうするのか? 今までは、何とか矯正して他の酒とブレンドしていました。

これが製造部の甘えにもつながっていました。基本的にこういう酒に関しては廃棄。例えばセカンドブランドでも出さない、という方針を徹底しています。(将来的にはこんな酒を古酒にする、という選択肢もあり得ますね)

それと、廃棄ついでに言いますと、今回の回収で出荷先から帰ってきた酒に関しては、やはり市中でどんな取り扱いがなされているかは完全には分かりません。中には例の大型スーパーなどでプレミア価格で販売されている獺祭も一般客の隠れ蓑で帰ってきているものもあると考えられます。たとえ1000本は大事に扱われているとしても、適当に投げておかれた酒がたった1本混じっている可能性が有ります。今回の回収した獺祭については残念ながら全面廃棄をせざるを得ません。

私どもも断腸の思いですが、全面廃棄いたしますことをお詫びとともにご報告いたします。