筑波大学の准教授でありメディアアーティストとしても活躍中の落合陽一さんの最新の著書「落合陽一34歳、「老い」と向き合う」(中央法規出版)の中で「デジタル技術によって自然はどう変わるか」という落合さんの問いに対して、対談相手の「バカの壁」などの著書で知られる東大名誉教授の養老孟司先生が、「今までと大きく変わったのは、ディテール(詳細)が見えるようになった点ですよね。医学におけるCTスキャンはその典型例です。デジタル技術の発展により、初めて身体の細部を見る事が可能になりました」と答えられていたのが印象的でした。

この話を日本酒に置き換えてみますと、デジタル技術の発展によって飛躍的に醸造過程におけるいろいろな状態がわかるようになってきた、ということです。しかもデジタルの温度計とか計測器とかが価格的にも50分の1ぐらいに下がってきて「山口の山奥の小さな酒蔵」でも十分使えるものになってきたのです。この技術と価格の変化を私たちは徹底的に酒造りに利用することにより獺祭の「獺祭らしい酒造り」を突き進めてきました。

具体的にはこの発展によって得られ始めた様々なデータに合わせて細やかな管理を各工程でする、ということです。こういう改革には既存の現場作業勢力が反対するのがお決まりですが、その時点で杜氏と蔵人は「あんたのとこで来季からは酒を造らない」と他の酒蔵に移籍した後でしたから、邪魔する人たちがいませんでした。

杜氏たちがやめた後は、酒造りには素人に等しい若い社員たちと、失敗を繰り返しながら酒造りを進めていく中で、このデジタル技術の発展とその活用に気が付いたのです。

すると、これまでと比べて格段に細かく複雑なデータを前に、それに一つ一つ応えていく作業が必要になります。残念ながら、ここを機械化しようとするのは、良い酒を造ろうと追いかけていくときまず無理なのです。極端に言いますと昔の考え方で酒を造るときの方が機械化しやすいのです。

つまり、ここに獺祭が日本で一番大人数の製造スタッフを必要とするようになった理由があるのです。科学の発展が「人間に仕事を与えている」のです。科学の発展は今までの生産物と同レベルで良いのなら人間から仕事を奪いますが、より優れたものを目指すとき人間は今までより必要になるのです。しかもそれは単に労働者で良いわけが有りません。自ら工夫して現場で微細なすり合わせをしながら努力するスタッフでなければいけません。

ここにこそ、日本人の中に色濃くある「手間をかける」という概念が、「良いものを追いかける」という新しい切り口で、必要になるのです。そして、最近マスコミで話題になっている「旭酒造の大卒初任給30万円」(全体的にも5年間で製造スタッフの給与を倍にする)も、ここに理由があるのです。


※こういう話をするとき「手作りが必ずしもいいとは限らない」とか「工夫無しに汗をかいて努力することが正しいのか」なんて世間に波を立てるような皮肉を言いたくなるところに私の蔵元としての欠点がありますね。わかっちゃいるけど♪・・・やめられない♪!!