来年1/12に五回目になる山田錦の全国コンテストの第一位発表会及び授賞式を東京帝国ホテルで開催いたします。このコンテストは山田錦農家に夢を持ってもらいたいという目的で開催し始めました。山田錦は「酒米の帝王」とか「最高の酒米」とか言われながら、地域社会の論理が先行する農業環境の中で個々の栽培農家には何となく陽が当たってこなかったと思います。その農家たち、特に力がありやる気に満ちた農家に注目してコンテストを行い、一位になった農家の山田錦60俵(60kg)を1俵50万円、つまり総額3千万円で買い取ろうというものです。
まあ、発想の原点は皆さんご想像のとおり、マグロの初セリです。あの一等が億を越してしまう初セリは私から見ても驚きでした。そして、「これ、この感覚が米作りにも必要だ!!」と思わせるものでした。やっぱり、みんなで難しい顔をして、「日本の農業を守らなくては」なんて言い合っていても、今の農業の閉塞感は打ち破れない。それと同時に、今の農村社会を覆う同質化を尊ぶ平等文化の中で、官僚化してしまった農協組織が主導する平均化と全体効率追求主義が進んでいます。この環境の中で、頑張って良い山田錦を栽培する農家が報われなくて、適当にやっても変わらない現実があります。その皆の何とも言えない漠とした絶望感のようなものをぶち壊したいという思いがこのコンテストの原点でした。
そんな思いで、日本の農業社会の俗にいう「偉い方々」の顔色を見ることもなく、例によって勝手に独走して始めたコンテストですが、お陰様で弘兼先生はじめ、何よりやる気のある全国の農家の皆様の協力も得ることができて、ここまで続けることができました。
そして、その過程で二つのトピックが生まれました。一つは、コンテストの審査基準が、それまでの「一般にこれが良い山田錦の条件」とされてきた等級基準に合わせていたものから、旭酒造独自のものになったことです。と、言って、お手盛りになったのではありません。意味がある変更だったのです。
長年、山田錦の等級の選考基準には心白の出現率とその大きさが大事とされてきました。それに公然と反旗を翻したのです。「山田錦にとって大きすぎる心白は必要ない」というものです。
山田錦は大正時代に短稈渡舟と山田穂を両親として兵庫県の農事試験場で開発された酒米です。最初は山田錦を使うとそんなに精米しなくても良い麹ができることから、灘の酒蔵で重宝されて、彼らが農家を援助したのです。ですから、最初は普通の酒の原価低減のための米として山田錦の歩みは始まったのです。
ところがバブルの頃に第一次吟醸酒ブームが訪れます。その頂点に全国新酒鑑評会の金賞という勲章が生まれました。本当かどうかは知りませんが、その頃、金賞を取ると翌日から蔵の電話が鳴りやまずその蔵の酒がみんな売れてしまったという逸話まで生まれたぐらいです。
そんな中で、山田錦の優秀性が再発見されたのです。山田錦を使うと良い大吟醸ができる。そして、これを使わないと金賞が取れない、という事になったのです。実際、今でも金賞を取る酒の8割以上は山田錦が原料米です。つまり、普通の酒を米をそんなに磨かなくても造れるために重宝されていた山田錦が吟醸酒用の原料米として認められたのです。
しかし、吟醸酒もだんだん性格が変わってきました。最初はアルコールを添加されていた酒が大半だったのです(前回の蔵元日記で言及しています)。そして、精米歩合は50%が主流でした。その吟醸酒を木箱に入れて5000円の値札が付いていることが一般的でした。ところが、バブルの崩壊と機を一にするように、米だけで造る純米が主流になり、それによりきれいに造るためには高精白のつまり純米大吟醸が不可欠になってきます。
そして、50%程度なら良いのですが、獺祭のように23%を超えて磨くようになると、山田錦の必要以上に大きな心白が邪魔になります。精米するときに心白に掛かるとそこから砕けてしまい、砕米になってしまうのです。つまり、良い酒を造るために精米すればするほどただ糠を生産するだけになってしまっていたわけです。つまり、山田錦の主要な等級基準の一つである大きな心白は、獺祭が理想とする純米大吟醸を造ろうとする時、邪魔になるのです。
と、、、いうわけで、コンテストの審査方向を変えました。粒ぞろいが良いのは従来通りの条件ですが、見過ごされてきた粒張りを求め過ぎて起こる顕微鏡で見なければわからないような細かな胴割も許されない。心白は必要ではあるけれど、小さくなければならない。それは、真ん中に小さく入っていなければならない。というものです。
しかし、この等級基準に即した従来の審査方法に異論を唱えるのは、いわば農水省を頂点とする農業界に反旗を翻すことですから、「そんなことをして大丈夫?」と心配してくれた方もいました。しかし、酒米は良い酒を造るためにあるのですから、優れた純米大吟醸を造るとき、マイナスの要素を持つ米はいくらそれまでの基準で優れていると言われていようとそれは違う。基準は世の変化とともに変わるべきです。
まあ、これができるのは獺祭だけしかないと思って踏み出したわけです。
もう一つはビヨンド・ザ・ビヨンド(その先へのその先)の開発。さすがに3千万円の原料で仕込みますと、いくらの値段をつけても原価的には引き合いません。そこで考えたのが、ワインと比べて高価格帯の日本酒がないと言われている現実。もちろん、いくらの値段でも付けるだけならいくらでもお手盛りで付けられますが、それはそれなりに意味があるものでないと市場で相手にしてもらえません。
このとんでもない高価な米を原料として仕込んだ獺祭をワインに負けない超高価格酒として世に問おう、としたわけです。お陰様で最初の優勝米で造った獺祭は香港のサザビーズのオークションで84万円(720ml)が付きました。また、三年目の酒はニューヨークの同じくサザビーズのオークションで115万円が付きました。今年はマグナムと私どもは呼んでいるのですが2.3ℓ入りも出していて、現地の飲食店で500万円を超える値段がつくそうです。すでに9本の予約注文が入り出荷を待っています。それは残念ながらすべて国外ですが、まだ、国内にも数本残っているはずです。
これも、山田錦の栽培農家にとって大きな勲章だと思います。山田錦の栽培農家の皆さんはこんなすごい米を作っているのです。そうそう、糠になったって、これで造った醸造用アルコールが一部の酒蔵の間で金賞を取るためには「絶対」と言われていることも前回お話しした通りです。
山田錦!!!!! 万歳!!!!!